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2007年9月21日 (金)

吉田屋銅鐸と本山銅鐸

S_3

今年8月に名古屋市博物館所蔵の吉田屋銅鐸(写真1)を見る機会があった。小型・扁平な銅鐸で高さは23cm、四区袈裟襷文だが、鈕外縁の鋸歯文帯が一重しかなく、裾に綾杉文を飾っている。第一印象として亀山型のB3類と呼ばれている銅鐸に似ているなと感じた。

亀山型について、難波さんの編年ではA1→A2→B1→B2→B3へと編年されているが、三木さんは「A類とB類は相対的には時間差であるが、系統の違いでもある」と説明されており、亀山型については、研究者間でも、分類や編年観自体はおおむね一致するものの、その系譜については、意見の相違が見られる。亀山型と呼ばれている銅鐸群に対してA類もB類も同じ範疇で(=同系工房orモデル・祖型共通)捉えていいのだろうか?私はB3類(徳島市・安都真4号、3号)の銅鐸が他の亀山型と比べ少なくとも違う銅鐸をモデルにしているように思えた。亀山型の多くは石井谷型や安仁型、渦森型などをモデル(雛形)にして作成されたように見えるが、どうもB3類は違っている。

・身が裾広がりにならず、直線的で
・背が高く
・袈裟襷の縁のラインが複線化
・下辺横帯の線から裾までが広い

この辺りの特徴が吉田屋鐸に共通するものだなと、第一印象として感じたわけだが、確かに亀山型としては、吉田屋鐸は鋳上がりが良すぎるし、B3類の特徴である左右の縦帯がないわけでもない。そこで、下田鐸(大阪)がA類の祖型と考えられるならば、吉田屋鐸を“B3類の祖型”として捉えてはとも考えてみた。

S_4しかし、その後神戸市埋文センターの常設展示室で1989年に出土した「本山銅鐸(写真2)」を見て少し考えが変わってきた。この銅鐸も復元高 21.8cmで、かなり扁平なのだ。文様の手や鋳上がりなど非常に綺麗で吉田屋鐸を彷彿とさせる。

吉田屋鐸との違いは

・正面の舞/裾の比率が大きい(裾広がり)こと
・下辺横帯の鋸歯文がないこと

などだが、

扁平率(舞の短径/長径)は、4.2cm/ 7.0cm=0.6で、吉田屋鐸とほぼ同じ。これは、亀山型に比べると大きいが(0.41-0.51)、通常の銅鐸と比べればかなり扁平なのだ。時期的には扁平鈕式の中でも、新段階、土製鋳型の時期であることは間違いなさそうだが、銅鐸が大型化(扁平鈕式の全平均が37.1cm、4区袈裟襷平均31cm、6区袈裟襷平均43.2cm)していくなかで、もう一つ、「扁平小型銅鐸」の一群があるらしい。これらは、亀山型とは異なるアトリエの作品と考えた方がよいのだろう。

正直、私は亀山型銅鐸について神戸市・上青木鐸以外には、京博所蔵の出土地不明鐸しか実際に見たことがない。あとは写真や実測図ですから、銅鐸表面の質感、鋳上がり状態、文様の手、そして、何といっても、実物から来る“オーラ”を感じていない。

ただし、上記のように亀山型とは別の一群…「鋳上がりと細工のよい扁平小型銅鐸」も存在していることは事実。将来「本山型」とか名付けられるかどうかわからないが、またひとつ、銅鐸の旅の楽しみが増えたと思っている。

P.S
銅鐸のスケッチをしていて感じたことだが、大半の銅鐸は、真正面から見ると左右縦帯がよく見えない。特に後期の突線鈕式になると、身が円筒形となりますます左右縦帯は見えなくなってくる。亀山型の特徴として、左右縦帯の簡素化・省略化(斜格子文が消失→左右縦帯もなくなる)は正面から見た場合、必要ないからではないかと思える。

亀山型の内面突帯に、舌による摩耗-「鳴らした痕跡」がないことも亀山型=「見る銅鐸」説の傍証となると考えられる。そういう点では、三木先生が「亀山型を銅鐸の終末期的なもの」と捉えられたのはあながち間違いではなかったと言えるのではないだろうか?

参考文献
三木 弘 2007「「扁平小型」銅鐸(いわゆる「亀山型」銅鐸)について」第57回銅鐸研究会(銅鐸博物館)
難波洋三 2003「徳島市出土の特徴的な銅鐸について-亀山型と名東型-」『シンポジウム 銅鐸の謎をさぐる』(徳島市考古資料館)
野田昌夫 2007「北青木銅鐸と亀山型銅鐸」『古代史の海』47(「古代史の海」の会)
井上洋一・森田稔編 2003『考古資料大観』6 青銅・ガラス製品(小学館)

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