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2007年10月19日 (金)

豊橋市前芝地区市民館「伊奈銅鐸里帰り展」

Photo_1110/16夜、最終日ギリギリで会場に駆けつけてきた。地元でも関心が高いらしく、夜遅くまで見学者が訪れていた。83年ぶりの初の里帰りで小さな会場に入ると3個の銅鐸が堂々と並んでいた。1号は東博で見たことがあったが、2号、3号は初めて。

2号、3号は1号よりひとまわり大きく、81cmで、幅広な感じ。三遠式銅鐸の中でも大型の部類に入るだろう。またこの二つは鈕の突線や中央縦の突線数が少し異なるだけで寸法、デザインなど兄弟のように酷似している。鐸身裾の型持もない。同じ工人が同時に作ったものだろうか? 2号と3号の名札が入れ替わって付いていたので、市民館の方に指摘したところ、東博の図録の誤植が原因とのこと(14日の井上洋一さん講演会後気付いたらしい)。残念だったのは銅鐸の両面が見れなかったこと。 銅鐸の両面(A面,B面という)の文様をわざと違えていることはあまり知られていないが、銅鐸のナゾのひとつ。

伊奈銅鐸は、1924(大正13)年、現在の豊橋市と小坂井町の境界-愛知県宝飯郡小坂井村伊奈松間の畑(現・前芝中学校)で発見され、喜田貞吉や森本六爾、梅原末治など当時の考古学会のトップクラスの研究者が現地を訪れ、いくつもレポートを残している。

Photo出土状態の写真は掘り出された後、喜田貞吉によって現場で再現したものらしいが、銅鐸は鰭を上下に、2号と3号は向きを互い違いにしている(図参照)。1号銅鐸と2号銅鐸の間に銅鐸がちょうど1個入る空間があり、1号と2号の向きが同じなので、ここにもう1個-1号と対になる銅鐸があったのでは?と想像してしまう。

銅鐸は掘り出す時に傷ついてしまうことが多いが、伊奈銅鐸にはそれがないことも幻の4号鐸の存在を疑ってしまう。市民館でも尋ねてみると、どうも地元でもそんな噂はあるらしい。

里帰り展はあるSNSのPさんの日記で知った。貴重な機会を与えていただいた、Pさんと前芝地区の方々に感謝したい。

図出典:
梅原末治 1927 『銅鐸の研究』p.127

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