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2007年11月13日 (火)

炭素C14年代について-銅鐸埋納遺構に伴う焼土

荒神谷や加茂岩倉の調査時にC14年代測定をやっていたことをDさんから教えてもらった。

神庭荒神谷遺跡
400 ± 190 A.D.
320 ± 約100 A.D.
670 ± 約100 A.D.
550 ± 約100 A.D.

加茂岩倉遺跡
SK1の外側の炭化物:50 B.C.~130 A.D.
SK2の内側の炭化物:350 B.C.~300 B.C., 215 B.C.~5 B.C.

加茂岩倉SK1はよさげに見えるが、荒神谷やSK2は、ずいぶんかけ離れた年代になっている…

古代山城の調査でも、土塁中から出てきた炭化物を片っ端からC14年代測定にかけているところあるが、弥生時代から江戸時代までむちゃくちゃいろんな年代が出てくる。その結果だけみて、卑弥呼の時代の城だとか、5世紀頃の城だとか言ってみたり、江戸時代の年代が出たから資料の選択違いだとか、恣意的な判断が一部横行している…

結局まともな結果が出たのは、兵舎跡の炉から採取した炭、南門から出土した板材(金田城)と水門跡に堆積していた加工材(鬼ノ城)。“イベント”に伴った炭化物じゃないと、埋納物とは全く関係ない場合が圧倒的に多いのでC14年代は要注意(ようは資料の選択が肝心)。

土の中にはいろんな(時代の)炭化物が混じっているわけで、埋納遺構の近くから出たというだけでは“同時代性”は不明。その年代を云々しても……

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