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2007年11月26日 (月)

奈良県に後期銅鐸がない理由

Photo_4

奈良県で弥生後期-突線鈕の新しい段階の銅鐸が少ないことは以前から議論されている。吉備や出雲と同様に後期銅鐸がない=銅鐸祭祀圏からの離脱と単純に考えていいかどうか…

摂津だと加茂遺跡の栄根銅鐸(突線鈕5-近畿IVB)、高槻市伝天神山(突線鈕4-近畿IIIC)、河内では西浦銅鐸(突線鈕4-近畿IIIB)と伝羽曳山(突線鈕4-近畿IIIC)辺りが最後の銅鐸だから、大和になかったとは断言できない。

亀井、池上曽根の銅鐸片(突線鈕3~5)そして、纒向遺跡の銅鐸片「飾耳」(写真)をどう考えるか… 少なくともこれらの集落内か近辺に後期の銅鐸が存在していたことは間違いない。そして最後は埋められていない。

出雲も青銅器はないと言われ続けてあの大量出土… 吉備も含めて今後なにが出てくるかわからない。そこが考古学の面白さでもあり怖さでもある。現在の出土数からみた分布論は手堅いが、同時に危うさも持っているので… いろんなストーリーや仮説モデルを作って検証していくしかない。

写真出典:
「ムラの変貌-弥生後期の大和とその周辺-」橿原考古学研究所附属博物館2005年春期特別展図録

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