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2007年11月21日 (水)

銅鐸は銅鏡に改鋳されたのか-鉛同位体比からみた青銅器材料(その1)

Photo「銅鐸改鋳・銅鏡再生論」… 銅鐸の祭祀の終焉から古墳時代を考える時、いろんな方が漠然と持っているイメージではないだろうか?

非常に魅力的なストーリーなのだが、鉛同位体比研究からみると、後期の銅鐸(領域A)と三角縁神獣鏡(舶載、ボウ製共に/領域B)は原料を異にしている(※グラフ/新井宏 2000「鉛同位体比による青銅器の鉛産地推定をめぐって」『考古学雑誌』85-2)。鉛同位体比は、鉛の鉱山ごとに異なった値をもっており、この値は変化しないので青銅に含まれる鉛同位体比を調べることで、鉛原料の産地を推定できるというわけ。あくまで「鉛」の同位体比なので「銅原料」の産地を推定できるわけではない。ただし、同じ青銅原料を使っているかどうかといった相互比較にはたいへん有効。まあ青銅器の“DNA”みたいなものなのだ。

後期銅鐸が成分比的にみてほとんど「銅」だから、これを主原料にして、錫・鉛を新たに添加すれば銅鏡を作れる… 考え方としては間違ってはいないが、仮に後期銅鐸に鉛を添加して銅鏡に改鋳したとしても、後期銅鐸の鉛同位体比から新規に添加した鉛原料の同位体比の方に若干動くだけで、同位体比のかけ離れた大量の鉛を添加しないと、領域Aと領域Bのようにまるっきり違う値にはならない。

異なる鉛同位対比の原料を混合した場合、鉛同位体比の分布は、ちょうど荒神谷銅剣のグラフのように量の多い方の鉛原料に引っ張られて領域A→Bにかけてライン上に並ぶはず。三角縁神獣鏡は領域Aに向かって並んでいるので、新井宏さんも指摘される通り、漢代の鉛原料(=弥生後期の鉛)に魏晋代の鉛原料(領域B)を混合して作ることは理論的には可能。※新井宏 2007『理系の視点からみた「考古学」の論点』大和書房 p.68

確かに銅鏡の錫含有量は20%を越えていて、銅鐸を銅原料にして、錫を加えたように見えるが、銅鏡の鉛含有量は5%ぐらい。後期銅鐸の鉛含有量は3~4%であり、銅鏡と%的にはあまり変わらない=鉛はほとんど加えていない。これでは鉛同位体比は変わりようがない。すなわち弥生後期の銅鐸を原料にして古墳前期の銅鏡は作られていないということになる。

Photo_2最近、歴博で日韓共同研究として「東アジア地域における青銅器文化の移入と変容および流通に関する多角的比較研究」が実施され、H.Pでも内容が紹介されている。

これによると、2~4世紀頃の韓国青銅器の鉛同位体比は後期銅鐸とよく似ているそうで、弥生後期に流通していた原料が日韓両国で古墳時代初め頃まで使われていたと推定されている。楽浪郡出土の青銅器の80%がグループA(後期銅鐸と似た鉛同位体比=領域A)に一致するというのは、青銅原料の生産地を考える上で示唆的である。

古墳時代のボウ製鏡の中に「非情に稀に領域Aのものがある。弥生時代の青銅器を鋳直した鏡かもしれない」ということなので、弥生青銅器の改鋳された事例が皆無ではないらしい。※馬淵久夫2007「鉛同位体比による青銅器研究の30年-弥生時代後期の青銅原料を再考する-」『考古学と自然科学』第55号 日本文化財科学会 より

銅鐸では、型式変化と鉛同位体比の推移がきれいに対応しているが、北部九州出土の青銅武器類では銅鐸ほど鉛同位体比と型式が対応しない。この点に関して、岩永省三さんは、北部九州ではII期~IV期後半までラインDと領域Aの鉛が併存、中細形~領域Aの鉛が多くなるとはいえ、中広形銅矛の新しいものまでラインD鉛を用いたものがあり、常時ラインD鉛も併存する環境にあったとし、

(1)北部九州と銅鐸製作地で輸入原料の入り方が異なった
(2)古い青銅器の鋳潰しの存否が異なったか

であって、しいて言えば(2)の可能性が大きい、と指摘されている。九州では鋳潰しがあったが、近畿ではないというのも面白い。

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