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2007年11月 7日 (水)

奈良県・三輪山の祭祀遺跡

Photo_1111/3-4、奈良博で開催中の正倉院展に行ったついでに、大神神社門前の旅館・大正楼に泊まり、前から興味のあった三輪山(写真1)の祭祀遺跡を見てきた。

11/4の早朝-6:30に起きて、三輪山山麓に点在する「磐座(イワクラ)」を巡る。磯城御県坐神社、夫婦岩、磐座神社、奥垣内祭祀遺跡、そして狭井神社近くの山の神祭祀遺跡を訪ねた。

山の神遺跡は、大正時代(1918年)に開墾のため巨石を動かそうとして発見された遺跡。現地はわかりにくかったが、狭井神社手前の山の辺の道脇-鎮女池の側「辰五郎大明神・きよめの滝」と書かれた小道を少し入ったところで見つけた(地図

Photo_12写真2は山の神遺跡の現状だが、当時の調査報告の図面とはかなり変わっている。(当時は中央の石の付近に5個の石があり、基壇は後から造られたもの)どんな所にあるのか興味があったが-小さな渓流沿いの谷間で、昼なお薄暗い場所。もう少し晴れ晴れしい場所を想像していたので、意外だった。銅鐸出土地点との共通性を想起させるものを感じた。また磐座というと「巨石」をイメージする方も多いと思うが、今回見た磐座はいずれも1m以下の小さな岩ばかり。

ここからは滑石製模造品の子持ち勾玉などの玉類や酒造りの道具を模した土製ミニチュアが出土しており、大神神社の宝物収蔵庫で見ることができた。

三輪山中には奥津磐座、中津磐座、辺津磐座と呼ばれる巨石群が存在すると言われる。3世紀後半~4世紀初頭に成立するヤマト王権は“三輪王朝”とも呼ばれ三輪山祭祀との関連がよく指摘されるが、最近の研究によれば、祭祀遺跡は5世紀代以降のものが多く、遡っても4世紀後半とされる。磐座祭祀というと古墳時代の最初から、三輪山の頂上でマツリが行われていた「イメージ」があると思うが纒向遺跡が栄えていた頃、三輪山とその山麓は「聖地」となっていて祭祀遺跡はおろか、集落や古墳はひとつもないらしい。

また三輪山の祭祀遺物は「子持ち勾玉」のような玉類が多いのが特徴で、同じ頃に始まる九州・沖の島の祭祀遺跡に比べて“お宝”がない。三輪山は禁足地となっており考古学的調査はほとんど行われていないので、古く遡る遺跡やお宝が眠っているかもしれないが、祭祀とは本来“地味”なものであり、沖の島の特殊性を感じずにはおれない。それは弥生の青銅器祭祀にもいえることなのかもしれない…

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