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2007年12月 7日 (金)

破砕銅鐸の行方-弥生青銅器の運命

Photo_5弥生時代の青銅器が、最後はどういう運命をたどったのか… 徳島市立考古資料館の特別展で「西分増井遺跡」の出土品を見てきたので、ちょっとレポートしておきたいと思う。

西分増井遺跡は高知平野西部の拠点集落。2002年の調査で竪穴住居から各種青銅器の破片が多量に出土している。中広銅矛、広形銅戈、銅鏡(中国鏡・小型ボウ製鏡)など九州の青銅器、そして扁平鈕式銅鐸の破片も(写真1)。銅戈の破片はとにかくバラバラで、青銅器の大小破片は23点あり、科学分析(蛍光X線、鉛同位体比)の結果、同一個体だったと推定されるものがいくつかあることが判明… 結論として、この集落に持ち込まれた(以前使用していた?)青銅器が集落内でバラバラに破壊されたことは間違いなさそう。

破壊の目的が、青銅原料としてのリサイクルだったのか、そのまま利器(刀子・工具など)として転用されたのか、西分増井では青銅器工房関連の遺構・遺物が確認されていないし、バラして作った“製品”が現地に残っていないので、最終的には不明。ただし青銅器片が多量に出たのは、集落北部の鍛冶炉や多量の鉄器・鉄片類の出た“工房エリア”なので、青銅器原料となった可能性は残ると出原恵三さんは考察されている。出土したのが住居内なので、破壊行為は祭祀とは無関係だろう。※高知県文化財団埋蔵文化財センター2004「西分増井遺跡II」

Photo_6福井県の高柳・下安田遺跡の場合、2004年の調査で竪穴住居内から銅鐸片(突線鈕3~4式)が3点出土しており、写真のように3点は元は同一個体で、鈕、鐸身、裾?だったと考えられている(写真2)。高柳・下安田は玉作工房と考えられており、破砕された銅鐸は管玉製作加工用の利器として再利用され、最終的に廃棄された事例。※赤澤徳明2005『高柳・下安田遺跡』「第20回福井県発掘調査報告会資料」福井県埋蔵文化財センター

Photo_3この他、有名な鳥取県の青谷上寺地遺跡でも銅鐸片が4点出土している(写真3)。青谷上寺地の場合、4点は同一個体ではなく、突線鈕もあれば扁平鈕もあるという感じで、溝だとか土器包含層からの出土なので、はっきり言って何に使ったのかわからない状態、同時かどうかも不明…※鳥取県埋蔵文化財センター2001 『青谷上寺地遺跡3』, 2002 『青谷上寺地遺跡4』

青谷上寺地も玉作工房のムラのようなので、バラされた青銅器は、新たな青銅器の原料にされた可能性は以外に少なそう。そういえば、鰭の破片が採集された豊岡市の女代神社南遺跡も玉作りのムラ。もともと銅剣など初期の青銅器も、瀬戸内以東では、利器としての再利用が多かったようなので、利器への加工・転用ということは、割と普通に行われていたことと考えるべきなのかもしれない。

Photo_4遺跡に残された断片的な遺物からみた弥生青銅器の最後は、まず利器として加工・転用された事例が多いとみられ、もう一つは他の青銅器のリサイクル原料、そして飾耳などはアクセサリーとして再利用されることもあったらしい。ただし、これまでの破砕銅鐸の出土例中、懸垂孔(穿孔)があるのは、静岡県沼津の藤井原(写真4)と段遺跡の2例のみ。破鏡に懸垂孔が多く、破断面が研磨されているのと対照的に破砕銅鐸の破断面は研磨痕がない…これが何を意味するのか?

破砕された銅鐸というと、兵庫県豊岡市(旧日高町)の久田谷遺跡が有名でいろいろと議論されているが、弥生後期段階で各地のムラ周辺にあった青銅器の運命は、埋納、破壊、転用、加工、改鋳、遺棄など、用途(処理方法)においても、時間的(後期前半~庄内期にわたる)にも、各地での多様な形を想定しておいた方が実態に近いようなのだ。

弥生後期にたくさん作られている銅鏃の原料としての転用も想定できなくはないが… 銅鐸が各ムラから供出されたり、掘り出されて、1ヶ所に集められ、銅鏡の材料として鋳潰されるというようなストーリーは、破砕銅鐸の出土状況からみても、ちょっとかけ離れた“イメージ”に思える… 後期の銅鐸でさえ庄内期まで残ったかどうか…疑問。青銅器の終焉を考える上では、弥生後期後半-西暦でいうと2世紀代の100年間に何が起こったのかが重大な問題なのだろう。

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