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2007年12月29日 (土)

銅鐸と水(その2)

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前回の日記で「銅鐸と水」について指摘した論考をいくつかご紹介したが、重要な著書を見落としていた…

藤森栄一さんの『銅鐸』(学生社/1964年)

銅鐸に興味を持ち始めた1年程前に読んだきりだった本を読み返してみると…p.217辺りから銅鐸と水に関する考察が続く。主にそれは銅鐸文様からの推考だが、ほとんど説明はないものの、p.209には「水流にのぞんだ斜面の出土例」として徳島源田と大阪恩智の出土地の写真が掲載されていた。

藤森さんはおそらくこれらの出土地と諏訪の湛(タタエ)神事を重ね合わせ「銅鐸は、水およびその土地についての祭具だったことが類推できる。…たたえを…湛と、原義通り、水のたたえられたところと考えたらどうであろうか。山腹で巨木があり、水が湧出し、その水が流れ流れて、たたえられ、農耕の水または土地-水田の祭が行われたとしたら…」と書いたのだろう。

藤森さんの『銅鐸』は初版が1964年なので今まで紹介した論考のどれよりも古い…『銅鐸』を読んでいると、それ以前にも三木文雄さんや原田淑人さんなど「銅鐸と水」に関連した論考がまだありそうだが、具体的なイメージで捉えたのは藤森さんがオリジナルの可能性が高い。

また、藤森さんは流水文についてこう書いている。「われわれは、流水文を、銅鐸の属性である文様と考えすぎていたのではないか。流水は、鐸の本質を表現するテーマだったのである」

現在の銅鐸研究では「流水文」は水を表したものではないとされている。それは袈裟襷文と同様、「何者かを呪縛し封じ込めるもの」だという。鋸歯文や邪視文は「僻邪」、袈裟襷文、流水文は「呪縛」と教えられてきたが、それでは銅鐸に多い「連続渦文」や「四頭渦文」は何を意味するというのだろうか?※私も流水文が水の表象とは思っていないが、銅鐸文様について簡単に呪縛とか僻邪と決めつけていいのだろうか…

藤森さんの『銅鐸』は諏訪大社の神宝「鉄鐸」を“銅鐸の末裔”としたところで銅鐸の学説史からオミットされた格好となっている。これは大場磐雄さんの「銅鐸私考」も同様だ。銅鐸と水…それを確かめるには先輩たちの足跡を追ってフィールドに出るしかないようだ。

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