銅鐸の旅-徳島から出雲へ(その2/古代出雲歴史博物館-弥生王墓誕生)
出雲へは銅鐸にはまりはじめた今年最初の頃から再訪したかったので、ようやく念願かなった。島根県立古代出雲歴史博物館(写真1)は今年春にオープンしたばかり。九博の出雲版みたいな博物館で、通史展示以外にテーマ展示があるなどこぢんまりとしているが内容が濃い。
銅鐸に関しては、こちらも加茂岩倉の39個を中心に島根県出土銅鐸が一堂に展示されており圧倒されっぱなし…しかし見学者が多く、落ち着かないのが難点。加茂岩倉遺跡のガイダンス施設のレプリカの方が、照明も明るいし、見学者もいないし、じっくり観察するにはよさそう。出雲歴博では企画展「弥生王墓誕生」をやっており(~12/16)、ホンモノの金印の前は黒山の人だかりになっていたが、個人的には、山陰地方に多い「スタンプ文土器(写真2)」に関する展示に注目。弥生後期の墳墓祭祀用の土器文様が、最初銅鐸の文様そっくりだったのが、 古墳時代初めには、何描いてるのかわからないくらい変貌してしまう過程が新鮮な驚きだった。寺澤薫さんが「銅鐸は特殊器台に生まれ変わった」と論じられていたが、※寺澤薫 2006「銅鐸の終焉と大型墳丘墓の出現」『邪馬台国時代のツクシとヤマト』(学生社)スタンプ文土器の変遷過程をたどってみると、ある意味納得できる説だと思う。
12/2 13:30~は出雲歴博の学芸部長・松本岩雄さんによる企画展講座「青銅器祭祀の終焉と王墓誕生」もやっていたので聴いてきた。青銅器埋納の「マツリの意義」について、小林行雄以来の「農耕祭祀説」をあっさり否定して、「集団結束の象徴説」を主張されていたが、「何故埋めるのか」という核心部分には結局迫れていない。この辺が考古学の限界だと最近つとに感じている…
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