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2008年1月23日 (水)

「銅鐸の時代」を読んで(その1)

Photo_3正月休みに春成秀爾さんの「銅鐸の時代」『国立歴史民俗博物館研究報告』第1集(1982)をじっくり読んでみた。

この論文は春成銅鐸論のデビュー作といえるもの(正確には78年「銅鐸の埋納と分布の意味」『歴史公論』4-3が銅鐸関係の処女作だが)80年代以降の銅鐸論を規定したという意味では、酒井龍一さんの「銅鐸・その内なる世界」『摂河泉文化資料』10(1978)と並ぶ論文。だが春成さんの銅鐸に関する著作は他にもたくさんあり、結構読んでいたので「銅鐸の時代」は恥ずかしながら未読だった。

章立ては、I銅鐸の用途、II銅鐸の使用された社会、III銅鐸の終焉 となっているが、Iが銅鐸のモノとしての観察から銅鐸祭祀について探ろうというもの。IIはいわゆる分布論から銅鐸の所有・配布について考え、IIIは聞く銅鐸→見る銅鐸への変化が銅鐸祭祀の内実にどう影響を与えたか…そして銅鐸祭祀の終焉-古墳時代の開始を首長霊信仰との関わりで論じている。

Iの祭祀論については初っぱなから三品彰英さんの「地霊と穀霊」が取り上げられている。ここでも三品説の影響の大きさを感じるが、春成さんは三品さんが「銅鐸は<大地に埋められる呪具>(地霊の依代)として生み出されたものである」と述べているにもかかわらず「穀霊」との関係に注目する。農耕祭祀とは地霊(土地神)と穀霊(稲魂)の和魂・荒魂をコントロールすることであるという。おそらくこれは正しいだろう。しかし「銅鐸の用途を穿鑿する前提」としては正しいのだろうか?

I章は銅鐸文様の検討にかなりの頁数が割かれている。銅鐸の二大文様-袈裟襷文と流水文を検討し、酒井龍一さんの銅鐸文様=「ものを包み込む帯の抽象化」という説を採る。しかしここでも春成さんは、酒井さんの「銅鐸に封じ込められるものは…超自然の荒ぶる力であった」という結論を否定し、銅鐸の「内にあって結びつけようとされる対象とは穀霊=稲魂であったと考えたい」とされる。

どうしてそんなに「穀霊」を重視するのかと思っていたら、次の検討テーマは「銅鐸の保管場所」。ここで稲魂と銅鐸が結びつく。まず舌の伴出例が非常に少ないことから佐原先生の地中保管説批判を展開。「使用」=舌が付いた状態、「埋納」=銅鐸使用の最後の形態(使用停止状態)とする。ここでいきなり「初穂に宿る稲魂」の話が出てくる。稲魂は秋から春までは高倉にあり春から秋までの間は水田にあるという「稲魂循環説」…この話自体はなるほどその通りだと思うのだが、「地霊の荒魂を和め、寄りくる諸々の邪霊・悪霊を祓い、稲魂を励まし稲籾に結びとめておくのが銅鐸の機能」と言われると、「ちょっと待て、銅鐸にそんな力が本当にあるのか?」とにわかには信じられない。

春成さんは「銅鐸は…稲魂を緊縛し守護すべく稲魂とともに特定の高倉内に安置」されていたという。銅鐸はとうとう地霊との関わりはほとんどなくなって、穀霊(稲魂)の“守護神”に祭り上げられてしまう。

I章の後半は、銅鐸の埋納と銅鐸の破砕。穀霊を守護する銅鐸が「何ゆえに地中に永遠に埋納されなければならなかったのであろうか」と春成さんは問う。問題の設定からして「埋納」こそ銅鐸最大の謎であり、銅鐸祭祀解明の鍵だと思うのだが、残念ながら「銅鐸穀霊守護説」からはとうてい説明できない。

そこで二つの考えが登場する。「境界祭祀」と「奉献・供犠」だ。

「干魃・豪雨・虫害など稲魂をおびやかす非常事態の発生時に…稲魂の坐す平野へのいくつかの通路のうち…邪霊の侵入路と推断したその入口付近で銅鐸祭祀を行なった後埋納された」と春成さんはいうが、さすがに矛盾点に気付かれたらしく、「穀倉にあって稲魂を守るべき任務をもっていたとすれば…土中に埋めてしまうという行為は、理解しがたい」と一応疑問を呈する。しかし、銅鐸埋納の状態が「銅鐸の本来の使用・保管状態の否定」を示しており、邪霊や土地の霊に対する奉献-未来永劫までの宥和を請願したことを意味すると「埋納」を意義づける。

最後に銅鐸は、地霊に対する“奉献の供物”と意義づけられたが、守護神と供物…いったいどちらが銅鐸の真の姿なのだろうか?

非常事態に「共同体にとってもっとも大切な豊饒の呪器ひいては象徴」を“敵”に差し出してしまうことが、共同体の崩壊につながらないかと…心配になってしまう。

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