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2008年1月16日 (水)

銅鐸は銅鏡に改鋳されたのか-鉛同位体比からみた青銅器材料(その3)

Img_coop_main3鉛同位体比の文献を読んでいると、いろいろと面白い実例が載っている。

例えば、佐賀県唐津市中原遺跡の銅釧の事例
この遺跡の2基の甕棺から、銅釧が14個も出てきたが、鉛同位体比を測定すると(グラフ1)のように2つのラインのグループに分かれ、各々のラインが交叉することから3種類の鉛が使われていたと推定されている。この3点が鉛鉱石(方鉛鉱)なのか鉛成分を含む原材料(ようするにスクラップ)なのかまではわからないが… 細かくみると、ラインD(グラフ中の一点破線)の中でも原材料はいくつかに分かれているということになる。
同じ遺跡からたくさん出土した遺物の鉛同位体比は、ある傾向…特定のエリアに集中して、かつある傾きを持って…鉛同位体比が分布することが多いようだ。

S_2例えば、荒神谷遺跡の銅剣の事例について(グラフ2)
グラフを見ていただくと、右と左に長く伸びていることがわかると思う。ほぼ同時期に作られたと推定されている358本の銅剣だが、鉛同位体比からみるとこのように違いがある。この結果については、大きな溶鉱炉のようなもので一度に原材料を溶かして、次々に銅剣を作っていったのではなく、一定の時間をかけて、少しずつ作成していったためと考えられている。この点は銅剣の細かな形式分類からの推定とも一致するらしい。
岩永省三さんは、銅剣の鉛同位体比の分布が領域Aのエリア内にとどまらず、左右にある傾きを持って伸びていることから、領域Aの原材料に、左下のラインDと右上方の遼寧省方面の鉛が添加されている可能性を指摘されている。岩永さんは、銅剣(A-26)1本だけが最古段階の形式の菱環鈕式銅鐸(T-5)と同じ鉛同位体比を示していることから、古い銅鐸(ラインDの青銅製品)を鋳潰して銅剣にしたのではないかと推定されており、添加されたラインDの原材料は、古い青銅器のスクラップ利用だったことを示唆している。

67s次は、弥生時代青銅器と三角縁神獣鏡の鉛同位体比グラフ(グラフ3)
グラフを見ていただければ、領域Aと漢鏡6-7期(後漢-魏晋代)の銅鏡エリアを結んだライン上に、三角縁神獣鏡が位置していることがわかると思う。
新井宏さんも
>三角縁神獣鏡の鉛分布は漢代の鉛と後漢鏡・魏晋鏡の鉛を混合使用したと考えれば、作り出せることである。すなわち、前代(漢代)の青銅器原料に魏晋代の原料を混合したと考えれば、日本でも中国でも製作可能なのである。

と書いており=「銅鐸から銅鏡へのリサイクル!」とも読み取れる。ただしここからは、青銅器の金属成分比-銅、錫、鉛の構成比を基に、シミュレーションする必要がある。銅鏡だけでなく、古墳時代の青銅製品は弥生後期の青銅器に比べて「錫」が圧倒的に多い(20~25%)ので、仮に弥生青銅器を鋳潰して、古墳青銅器を作る場合、「錫」を多量に添加する必要がある(弥生青銅器は錫3~5%)。「鉛」についてはどうかというと、弥生後期青銅器は3~5%、古墳青銅器では5~6%台が多いようなので、こちらも若干は添加しないと古墳青銅器の%に達しないものもある。

仮に1kgの銅鏡を数枚作るために10kgの後期銅鐸を鋳潰す場合、銅鏡の金属構成比 銅70%, 錫25%, 鉛5%とする。10kgの後期銅鐸の金属構成比 銅90%, 錫5%, 鉛5%として、銅鏡の金属構成比と同じ値にするには、錫500g, 鉛500gに対して、錫2.7kg, 鉛143gを添加する必要がある。また後期銅鐸の金属構成比 銅94%, 錫3%, 鉛3%の場合は、錫300g, 鉛300gに対して、錫2.9kg, 鉛343gを添加することになる。混合された鉛原料の割合によって鉛同位対比が変動するとすれば、500gに対し143g、300gに対し343gだから、鉛3%の場合でようやく領域Aと領域Bの中間地点付近まで来ると予想される。シミュレーション的には、かなり多量に領域Bの鉛を添加しないといかんということになりそう。

古墳時代青銅原料と弥生時代青銅原料の混合を想定するにしても、あくまで古墳時代青銅原料(領域B)が主、弥生時代青銅原料(領域A)が従なら説明がつきそうだが、その逆はちょっと考えにくいように思う。三角縁神獣鏡の中に1枚でも領域Aに位置するものがあれば話はグッと面白くなるのだが、そういう事例はまだ1枚も見つかっていない。
また、最近歴博で調査された紀元前2~7世紀初めの韓国の青銅製品に関する鉛同位対比が日本の弥生~古墳時代への鉛同位対比の変遷(領域A→領域Bへ)にリンクしていることも気になる。この研究によると、領域B(歴博:グループB)の原料産地は朝鮮半島ではないか?という点が注目されるし、楽浪郡出土の青銅器の80%が、領域A(歴博:グループA)にあるということは、弥生後期の青銅原料供給に楽浪郡が深く関与していた可能性を窺わせる。

また鉛同位体比研究に関しては、弥生後期の青銅器の鉛同位体比が領域Aのそのまた小さな[a領域]へ集中していることをどう解釈したらよいのかという難問もある。安本美典さんは「ブレンド収縮」という怪しげな用語でこのa領域への集中化を説明しようとしているが、弥生後期には、福岡か大阪に青銅原料のスクラップ再生工場でもあって青銅インゴットを全国に供給でもしていたというのだろうか? 同時代の中国(後漢~三国)では、黄河流域の銅山が枯渇し、銅不足が深刻化していたということなので、日本への原材料供給が潤沢であったとは思えない。個人的な見通しとしては、この辺りの事情(供給元が限定される)が「a領域へ集中」に影響していると考えている。

いろいろ長々と書いてきたが、とにかく鉛同位体比は面白い!! こんな楽しそうな研究成果を学ばない手はないのだが、懐疑的な人はいまだ多い…

図出典
グラフ1:淀川奈緒子,渡辺智恵美,谷水雅治,平尾良光「佐賀県中原遺跡から出土した同釧の鉛同位体比」佐賀県教育庁報告書 (2005に報告書提出済)
グラフ2:岩永省三2003「考古学者からみた青銅器の科学分析」『科学が解き明かす古代の歴史-新世紀の考古科学』クバプロ
グラフ3:新井宏2006「鉛同位体比から見て三角縁神獣鏡は非魏鏡」『東アジアのの古代文化』2006秋(129号)

補足:昨日UPした新井宏さんの講演「三角縁神獣鏡研究の現状」に関連して
脇本遺跡-リサイクル工房の件は、会場からの質問に対し新井さんは「三角縁神獣鏡の鉛同位体比分布から弥生後期青銅器の再利用はあっただろう」とのコメント。ただし、講演後、新井さんに直接お尋ねしたところ、「弥生後期青銅器の再利用といっても、あくまでも古墳時代になって新たに大陸から供給が開始された原料への“添加”であって、銅鐸を破壊して、溶鉱炉で溶かし、銅鏡に改鋳するといった話ではない」という回答だった。
弥生後期青銅器の鉛同位体比が領域A(そのまたa領域)に集中する傾向については、「楽浪郡からの供給、そして華中地域のどこかの鉱山からの銅インゴットによる供給が想定できるとされ、古墳時代の初め頃、何らかの事情でその鉱山からの供給がストップしたのだろう」という意見だった。

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