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2008年2月25日 (月)

「古代相模の川辺の暮らし-相模川中流域の遺跡展-」-河原口坊中遺跡の小銅鐸

Photo_4

昨日2/24 海老名市文化会館で開催中の地域巡回展「古代相模の川辺の暮らし-相模川中流域の遺跡展-」を見てきた。

現在解散問題で揺れる かながわ考古学財団主催のイベントだが、最終日前日の日曜とあって小さな会場は見学者でにぎわっていた。

お目当ては、昨年2月に発見された河原口坊中遺跡(神奈川県海老名市)出土の小銅鐸神奈川県-相模では小銅鐸が3個見つかっているが、なんと会場には特別展示「サガミの小銅鐸」として3個の小銅鐸が勢揃いしていた。

・海老名市本郷遺跡 H8.2+cm
・平塚市内沢遺跡 H10cm(写真左)
・海老名市河原口坊中遺跡 H7.9cm(写真右)

関東の小銅鐸は「小型銅鐸」と「小銅鐸(銅鐸形銅製品)」に分類される。海老名市出土の二例が小銅鐸。平塚市内沢例は、海老名市のものより大きく、小さいながら鰭も付いており、小型銅鐸と呼ばれているタイプ-千葉県市原市川焼台や栃木県小山市田間で出土している事例と本当によく似ている。

今回の坊中遺跡の小銅鐸は
・内部にグリーンタフを使った舌と思われる小石が付着して残っている点
・小銅鐸には通常ない内面突帯がある点
・他二例が時期が古墳前期に下るのに対し弥生後期に入る点
などが注目される。

Photo_3会場には復元された小銅鐸が棹にぶら下げられていたが、小さい割に結構甲高い大きい音が出るのには驚いた(写真)。むしろ博物館などによくある40cm台の復元銅鐸の方が音が低い。

また坊中遺跡からは銅釧も出土していた。相模川下流域には弥生後期に遠江や三河の土器が入ってくるという。弥生後期後半になって関東地方に現れる小銅鐸もこうした人々の移動と関わるもの-東海地方の人々が持ち込んだものなのだろうか?

なお「相模川中流域の遺跡展」は、2/27~3/3 厚木市勤労福祉センターでも開催される。

参考文献:
相京邦彦1995「東日本における『小銅鐸』の終焉」『古代文化』47-10
小山市立博物館2001『弥生時代の祭祀と信仰-小さな銅鐸の使われていたころ-(第42回企画展)』

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