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2008年5月 1日 (木)

貨幣博物館テーマ展「2500年の伝統と技 -中国の鋳銭技術-」

Photo先日の4/27 貨幣博物館で「2500年の伝統と技 -中国の鋳銭技術-」 (2008/3/13~4/27開催)を見学してきた。
弥生青銅器に興味を持ちはじめてから、その原料とも推定されている中国の銅貨についてもいくつか参考文献を読んでいたが、春秋戦国~魏晋南北朝までの鋳型などが展示されると聞いて興味がそそられた。展示はささやかなものだったが、小さな展示ケースに時代別に鋳型と銭貨がわかりやすく展示されていた。

Photo_3貨幣の鋳型というと、富本銭などの枝銭(写真1)がすぐ思い浮かぶが、中国では前漢代に「畳鋳式」と呼ばれる何枚も鋳型を縦に重ねて中央を貫く湯口から銅を流し込む方式が開発されている。これに対し、枝銭と呼ばれる鋳型は「縦式」という(写真2)。
また展示をみて気づいたのだが、春秋戦国~秦代までは「石の鋳型」だが、前漢に入ると“原母笵”を原型にして、粘土で鋳型を作成している。これによって一つの原型から複数個の鋳型を作成できるようになった。漢代に作られた銭貨はなんと260億個というが、多量の銭貨需要にも驚くが、その需要に応えた技術が「同一原型から複製を作る土の鋳型」だったわけだ。
魏晋南北朝以降、鋳型が発見されなくなるのは「土の鋳型」→「砂型」へ移行したためと考えられている。この辺りは他の青銅器の鋳造技法の変遷を考える上でも興味深い。原母笵も出土しないところをみると、精巧な原母笵を作らないで鋳型を複製する方法-銅貨の実物を原型にするようなやり方が想定されるのだろう(鏡でいう踏み返し)。

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コメント

初めまして、銅鐸のことがよく書かれてあるので、時々閲覧して勉強をしております。
銅鐸が埋まった状態で発見される、ということについてちょっと思い出したことがあったので、コメントさせて頂きます。
今年の始め頃、埼玉県内の縄文遺跡の見学会に行った時に聴いたことですが、縄文人の集落で、使わなくなった竪穴式住居は埋めていた、というのです。その埋めた後がゴミ捨て場になって、そういう所から縄文時代の遺跡が見つかるそうなのです。
遺跡がゴミ捨て場(貝塚)から発見される、というのは知っていましたが、竪穴式住居を埋めていた、というのは初めて聞いて、私は何か妙に感じたのです。でも、それきり特に考えることはしていません。銅鐸は埼玉県では馴染みがありません。
ただ、埋める (掘る) 、という共通点に何かを感じます。

投稿: 五節句 | 2008年5月20日 (火) 11時44分

五節句さん

当ブログを閲覧いただきありがとうございます。
最近ブログ記事更新が滞っておりますが
ネタは結構かかえておりますので、
またボチボチ書いて参ります。
久しぶりに今日更新致しました。

考古学の対象は埋められたもの(埋まったもの)ですので
竪穴住居も銅鐸も共通するところです。
銅鐸は非日常的なところが謎であり魅力と感じています。

埼玉県からは今のところ小銅鐸も出土していませんが
埼玉県立歴史と民俗の博物館には
三重県伊賀上野出土の比土銅鐸という
高さ1mもある近畿式の大型銅鐸が展示されています。

投稿: オモイカネ | 2008年5月21日 (水) 00時45分

こんにちは、ご返答下さり恐縮です。
私の表現が悪かったのですが、それは、自然に埋まっていった遺跡のことではなくて、環濠集落に暮らす人々が故意に埋めていた、というのです。大量に出土した島根県の銅鐸も、故意に (入り子にしている~、) 埋められてあり、それが何故なのか不明のままであると思います。
埼玉県のその竪穴住居跡は、土器の破片がある地層の下に故意に埋めた土の層があり、その土をどかした下に生活していた当時の跡が発掘されているのです。
銅鐸が埋められてある、その下の層は発掘されているのでしょうか。
以上は、私のほんの個人的な興味ですので、馬鹿馬鹿しいとお感じの様でしたら、スルーして頂きますように。ご免下さい。

投稿: 五節句 | 2008年5月21日 (水) 13時40分

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