« 貨幣博物館テーマ展「2500年の伝統と技 -中国の鋳銭技術-」 | トップページ | 滝峯の谷銅鐸出土地-静岡県浜松市北区(旧細江町) »

2008年5月20日 (火)

大福遺跡の破砕銅鐸

Photo昨年暮れに奈良県桜井市脇本遺跡で銅鐸片が出土し「リサイクル工房か?」とニュースとなったが、今度はすぐ近くの大福遺跡でも「銅鐸片」が鋳型やフイゴなど鋳造関連遺物と共伴した。旅行していてニュースを知ったのは連休明けのこと、ちょっと遅くなったがやはりブログで取り上げないわけにはいかない話題である。
「銅鐸リサイクル」の跡、国内2例目 奈良で破片や鋳型(2008/4/30 朝日新聞)
銅鐸片出土、リサイクル用に壊す? 奈良・大福遺跡で見つかる(2008/4/30 産経新聞)

今回の調査区では、弥生時代中期中頃の方形周溝墓群の間に弥生時代後期(1世紀後半~2世紀中ごろ)の溝が4本あり、そのうち1本からは、溝が埋没した後に掘られた深さ3mほどの土坑が2ヶ所あった。銅鐸片が見つかったのはこの土坑からで、銅鐸片は5.9cm×4.6cm、厚さ2mm程。銅鐸の鐸身部分の一部で、壊されたときについたような歪みがあるという。同じ土坑から、炉に差し込む送風管の一部、鋳型外枠片2個も出土していることから、銅鐸片を別の青銅製品に再利用していた可能性があるとみられている。

今回の銅鐸片で重要なポイントは4点。
・一つ目は破砕銅鐸の事例の少なかった奈良県で纒向、脇本に続いて見つかったこと。
・しかも、青銅器鋳造関連の遺物と伴出したこと。
・三つ目は埋められた年代がわかる事例であること。
・そして四つ目は大福遺跡からは埋納された銅鐸が見つかっていること。
特に大福遺跡では、完形銅鐸の埋納年代と銅鐸片の埋没年代が弥生後期後半とほぼ一致している点が興味深い。

銅鐸片の写真を見たが、今回も脇本遺跡同様、5cm角に割られた形状。このような形の破片を“久田谷型”とでも呼びたいが、原材料として再利用しやすいように、小さなスラブ・ビレット状にされたのだろう。突線が2本みえるがこれだけでは後期の銅鐸であることがわかるだけで詳しい型式までは判別できない。ただし突線の幅などから考えると、中型クラスの銅鐸ではないので-近畿式の新段階(突線鈕4・5式)とみられる。

Photo_2完形銅鐸の方は1985年に大福小学校建設予定地の発掘現場から出土した。こちらも方形周溝墓(2号墓)の溝底近くに銅鐸埋納坑が掘られていた(図版)。遺構の切り合い関係から方形周溝墓は弥生時代後期よりも新しい時代に造られており、銅鐸の埋められた時期の上限は弥生時代後期となる(もう少し絞り込むと2号墓周溝の出土土器から弥生時代後期中頃~終わり頃以降)。2号墓に隣接する1号墓の周溝からは古墳時代前期初め頃の土器が出ているので、弥生時代後期の終わり頃~古墳時代前期初め頃にかけて、2号墓→銅鐸埋納坑→1号墓の順になるという。

完形銅鐸は以前のブログ(2007/10/03)でも紹介した通り、難波洋三氏によると、突線鈕1/2式の「大福型」と呼ばれる銅鐸で、製作時期は弥生時代中期末~後期初め。完形銅鐸は弥生時代後期後半まで使用されて方形周溝墓底に埋納、銅鐸片の方は弥生時代後期後半に作られ、比較的短期間で破壊され他の青銅器に改鋳されたらしい。

破砕銅鐸については、弥生時代の終わり(古墳時代の初め?)に銅鐸を奉ずる人々が征服され(もしくは宗教の一大変革が起こり)、埋納された銅鐸も含め強制的に回収、破壊され、銅鏡など新たな青銅器の原料として鋳つぶされたという説が書籍やネット上などあちこちで真しやかに語られている。このような“銅鐸の最期”は古くは原田大六氏や森秀人氏によって提唱されたもので、古代史ファンにとっては魅力的なストーリーなのだろう。
はたして真実はどのようなものだったのか…上記説の信奉者らは今回の大福遺跡における銅鐸片と完形銅鐸の埋納年代の一致をいかに解釈するのだろうか?

図版出典
萩原儀征1990「大福遺跡の出土銅鐸」『銅鐸講演会記録集(八尾市跡部銅鐸出土銅鐸特別公開記念)』(財)八尾市文化財調査研究会

|

« 貨幣博物館テーマ展「2500年の伝統と技 -中国の鋳銭技術-」 | トップページ | 滝峯の谷銅鐸出土地-静岡県浜松市北区(旧細江町) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1000613/21061997

この記事へのトラックバック一覧です: 大福遺跡の破砕銅鐸:

« 貨幣博物館テーマ展「2500年の伝統と技 -中国の鋳銭技術-」 | トップページ | 滝峯の谷銅鐸出土地-静岡県浜松市北区(旧細江町) »