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2008年7月10日 (木)

桜ヶ丘銅鐸出土地-兵庫県神戸市

Photo5/6 ある研究会の打合せで神戸に行くことあり、打合せ前に近くの桜ヶ丘銅鐸の出土地に登ってきた。桜ヶ丘は1964年(昭和39)に14個の銅鐸と銅戈(大阪湾型)7本が発見された有名な銅鐸出土地。

Photo_2出土地は灘区と東灘区の境の坊主山(標高376m)から南へ伸びる支脈にある。高羽付近から見ると主峰より出土地点のピークの方が目立つ感じがする。阪急六甲からバスに乗り高羽で下車。バス停近くの陸橋の下に「国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈」の記念碑がある(写真2)。出土地は記念碑が立つ場所から北に1.2km程入った山中。ここから石屋川に沿って登っていくと神戸大のグランドに出る。グランド東側のマンション裏の小さな橋を渡ると山道となる(写真1)。この辺りの景観は石屋川の源流に近づいてきた趣がある。

Sここからは細い尾根上を歩いて行くのだが、真砂の風化土壌のため滑りやすく、また崖のようになっているところもあった。途中から急坂となり最初の鉄塔を過ぎると標高246.6mのピークに達する。ここにも鉄塔が立っている。地図1をみると出土地点はピークの東側少し尾根を下ったところ-240m付近らしい。現在の町名を取って「桜ヶ丘遺跡」と命名されたが、本来の山名は「神岡(カミカ)」だったという。神庭、神於山など銅鐸出土地には何故か「神」という字がついた地名が多い。

Photo_3出土地点はその後の土採りでなくなっているようだが、現在も鉄塔のあるピークの東斜面は砂地がデコボコとして草木もあまり生えておらず、土採り場であった状況が生々しく残る(写真3)。




Photo_4モノクロの写真4は銅鐸出土当時の写真だが、このピークの東側斜面全体が土採り場になっていたことがわかる。銅鐸は×印の地点から出土したという。

Gis最近吉田広さんらの「弥生銅鐸のGIS解析」を読んだ。各地の銅鐸出土地点からの眺望をGISを用いて分析されたもの。桜ヶ丘出土地点については「可視領域は、六甲山南麓の神戸市域ほぼ全域に及び、眼下に六甲山南麓の遺跡群を俯瞰的に見下ろす格好である。大量埋納であっても、荒神谷遺跡等と異なり、広い可視領域を誇る例である」と述べられているが(地図2参照)、実際に現地を歩いてみると出土地点からの眺望ははっきり言ってよくない。西側の鉄塔のあるピークとそこから東南に伸びる尾根が視界を遮ってしまう。八尾市恩智銅鐸の出土地点で指摘した「山麓からよく見える山の山麓からは見えない地点に埋納する」という埋納地のルールみたいなものがここでも当てはまりそうだ。

Photo_5確かに鉄塔のある246mピークからの眺望は吉田さんらの指摘に近いが、このピークからもどちらかというと西側の眺望が開けているが、東側は十文字山の山塊が視界を遮って、大阪湾型銅戈が出土した保久良山や生駒銅鐸出土地(神戸薬科大)は見えない(写真5)。また桜ヶ丘の足下の渦ヶ森銅鐸出土地も見えそうで見えない。お世辞にも“広い可視領域を誇る”などとは言えそうにない(※参照)。また東六甲山系の青銅器出土地が近接していながら互いに見えないというのも何か示唆的である。

東六甲山系には渦ヶ森、生駒、森など銅鐸出土地が多く、高地性集落との関係も指摘されているが、桜ヶ丘の出土地点も南に伸びる尾根上に桜ヶ丘B地点遺跡と呼ばれる集落跡が発掘調査で確認され、時期的にも一致することから出土地点と何らかの関係があることが指摘されている。

※吉田さんも上記論文の追記で、「数値地図の精度(50mメッシュ)では微妙な地形を反映できない点や実際は植生の関係で視界がより狭くなること」などを指摘されている。「埋納遺跡の性格から、埋納地点からの可視範囲よりも埋納地点を大まかに視認できる範囲の提示が適当だった」と述べられている。GIS分析の限界…現地踏査の重要性を痛感せざるを得ない。

参考文献
写真4出展:森浩一・石野博信 『[対論]銅鐸』(1994/学生社)p.15
地図1出展:『国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈-神戸市立博物館-』(2000)p.58
地図2出展:吉田広・増田浩太・山口欧志 2005 「弥生銅鐸のGIS解析-密度分布と埋納地からの可視領域-」『世界の歴史空間を読む-GISを用いた文化・文明研究-』(宇野隆夫編/国際日本文化研究センター)

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コメント

驚くばかりの銅鐸情報、いつもお世話になっています。
桜ヶ丘銅鐸の出土地の近くまで行ってみたのですが、現地には標柱などなく、地形も変わり、ここだという確信をもつに至りませんでした。
『桜ヶ丘銅鐸銅戈調査報告書 本篇』昭和47年 兵庫県教委 p2,3,8,64~67参照にある鉄塔と現在の鉄塔は位置がどうもことなるようです。
出土地点を示す最新の目印となるような画像などないでしょうか?

投稿: 江頭務 | 2015年10月 1日 (木) 18時03分

江頭務様

>『桜ヶ丘銅鐸銅戈調査報告書 本篇』昭和47年 兵庫県教委 p2,3,8,64~67参照にある鉄塔と現在の鉄塔は位置がどうもことなるようです。
>
出土地点の様相は土取りでかなり変貌しているようですね。三木文雄氏『銅鐸』掲載の写真(P.91)など見ると、尾根からかなり下った地点のようにも思えます。山丘の裏側とわざわざ注記していますので、地図の付近でよいとは思いますが…変貌が激しいので、当時現地へ行った人たち(石野博信氏など)に伺ってもわからないかもしれませんね。

更新再開しましたので、時々見ていただけると嬉しいです。

投稿: 向井 | 2015年10月11日 (日) 08時34分

初めてコメントさせて頂きます、西野(一王山登山会幹事)と申します。 桜ヶ丘銅鐸の出土地について、本年(平成28年)8月21日(日)に神戸市民山の会行事で
当会の当番に当り、出土地に市民を案内します。
ご都合良ければ参加頂ければと思います。 出土地については文献等を調査して、2年がかりで最近、確定しました。 当日のコース詳細は次のhttpを参照願います。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/sports/28yamanokai.pdf  以上、概要をコメントさせて頂きました。 今後ともよろしくお願い致します。
  7月14日 西野 拝

投稿: 西野  加郎 | 2016年7月14日 (木) 11時59分

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