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2008年8月19日 (火)

雲南市・加茂岩倉37号銅鐸(島根8, 外縁付鈕2式, 4区袈裟襷文, 45.4cm)

37bs6/29 島根県立古代出雲歴博で「加茂岩倉銅鐸の世界」展を見学した。全て実物の銅鐸が1個1個並べて展示されており、個別に詳しい説明が付されている。中でも以前のブログ(07/12/4)で紹介した37号銅鐸(写真はB面)は「見どころ満載の隠れた逸品」として別個のケースで展示されていた。37号銅鐸はちょっと見た感じは、鋳上がりも悪く、特に変わった銅鐸には見えない。しかし、もう少し細かく観察すると、見たこともないデザインの銅鐸であることがわかる。

まず全体のフォルムだが、スラッとした銅鐸に見える。ただし各部の寸法・比率を比較してみると他の外縁付鈕2式銅鐸(II-2式)とさほど変わらない。おそらく鈕高が少し高い(頭でっかち)ため、背高な印象を受けるのだろう。鈕の外縁-菱環外斜面の幅が広くB面では2帯となっている。A面では、III-1式段階で出てくる三日月文様帯に似た細い帯状部分に、小さな連続渦文を配置するが、左右には鹿が二頭ずつ描かれている(言われないとほとんどわからない)。また渦文の巻き数も同時期の流水文鐸と比較して多いようだ。

鐸身の文様はこの時期の銅鐸としては珍しい四区袈裟襷文。II-2式は流水文が非常に多く、加茂岩倉でもII-2式鐸9個中7個が流水文である。A面の袈裟襷文は通常の斜格子だが、B面は「網代文」を使用しており、さらに下辺横帯は複合鋸歯文となっている。また袈裟襷の界線が複線となっている点も、II-2式段階では類例が非常に少ない(界線が複線化するのは扁平鈕新段階(III-2式)以降の特徴)

鰭の鋸歯文はA面がL、B面がRと使い分けられている。通常鋸歯文は鰭の下端まで続くものだが、37号では下辺横帯下界線のところで鋸歯文が止められており、一番下端の鋸歯文は半分に断ち割られている。この銅鐸もII式段階までは多い「四辺区画装飾面(身の装飾面が左右の鰭まで及ばず、鰭との間に隙間がある)」であるが、鰭の鋸歯文までそれを意識したデザインとなっているようだ。飾耳は鐸身上部に1対あるが、足もなくシルエットだけの耳で鰭部分は鋸歯文で埋められている。

網代文は恩智垣内山鐸などで使われているので、この文様に注目すると摂津産の銅鐸かもしれない。鐸身の反りが直線的な点も摂津産と似ている。いずれにしても、II-2式段階では他に類例のない-新しいデザイン要素をつぎ込んだ一点もののような-レアな銅鐸であることは間違いない。

写真出典:
『銅鐸の謎 加茂岩倉遺跡』(1997年/河出書房新社)

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