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2009年5月16日 (土)

推定淡路島出土銅鐸(兵庫23, 突線鈕1式, 2区流水文, 身37.3cm)

Photo昨年秋の辰馬考古資料館の秋季展でこの銅鐸を初めて見ることができた。図録の写真などを最初に見た時の印象は、はっきり言って“ちょっと気持ち悪い”銅鐸だなと感じていた(写真1)。

銅鐸に興味を持った最初の頃は、8c7xとか6c2xといった流水文の見方がよく分からず戸惑っていた。佐原眞さんの「流水文」『日本の文様8 水』(1972年/光琳社出版)や難波洋三さんの「同笵銅鐸2例」『辰馬考古資料館考古学研究紀要』2(1991年)を読んで、ようやく流水文に対する苦手意識がなくなってきたところでこの銅鐸と対面したわけだが、様々な点で興味深い内容を持った銅鐸であることを知った。

Photo_2まず流水文の型式が「縦型」であること…これはこの銅鐸が摂津産銅鐸(東奈良産)の流れをくむものであることを示しているのだが、他にも各所に摂津産の特徴を見い出すことができる。銅鐸全体のデザイン構成は、上下に比較的シンプルな縦型流水文を二つ配置しているが、中央-上下の流水文の間に連続木の葉文を挿入しているのが目に付く。木の葉文は展示されていた裏面の下辺横帯にも施されている(写真2)。この木の葉文(写真3)は東海派と呼ばれる銅鐸に見られる文様であるため、この銅鐸も東海派に分類されている。

また鐸身最上部(舞の直下)には連続鋸歯文の横帯を置いており、下辺横帯も連続鋸歯文+斜格子文帯と流水文銅鐸では他に類例がない-この鐸身最上部の連続鋸歯文は摂津産の銅鐸に必ずのようにあるもので、下辺横帯の上に2条、下に3条の突線がめぐる。そしてこれがこの銅鐸の最も特徴的なところかもしれないが、流水文内を通常の1束5条の平行線条のうち2条を斜線に替え綾杉文としている。おそらく最初に見た時の違和感はこの綾杉文のせいだと思われ、見ていて目がチラチラしてくる…以前にも取り上げたことがあるが幻視効果を狙ったデザインなのかもしれない。

この他、左右の鰭には三対の飾耳が付いているが、この飾耳も内部に綾杉文があるタイプで摂津産と推定される鈴鹿市磯山鐸などに似ている(綾杉の向きは推定淡路鐸が外向き、磯山鐸は内向きだが)。また左右の鰭の連続鋸歯文は右がR鋸歯文、左がL鋸歯文と使い分けられ、下辺横帯の連続鋸歯文はL-Rの交互鋸歯文となっている。裾部に型持孔の見あたらない点も摂津産の特徴が表れている。

Photo_3この銅鐸は出土後に改変を受け、鈕を失い舞と身上部の型持孔も埋められている。鰭の飾耳に古い特徴を残していることから、案外、失われた鈕には外縁付鈕式段階の摂津産銅鐸のように飾耳が2個付いていたかもしれない。身の断面形状は扁平ではなくコロンとしている。

図録(辰馬2008)には「東海派に属する銅鐸は、ほぼ袈裟襷文銅鐸であるが、29(推定淡路島鐸)のみは流水文である。縦型流水文の系譜を引いているとみられる」とある。東海派銅鐸の製作工人が摂津産銅鐸工人の系譜を引くとされる難波さんは、この銅鐸について「東海派に属する唯一の流水文銅鐸である伝淡路出土突線鈕1式二区流水文銅鐸は、6c2x複合縦型流水文を飾る特徴や、身の上縁に鋸歯文の横帯をもつ特徴が、外縁付鈕2式縦型流水文銅鐸と共通しています」と述べている(難波2002)。

東奈良から出土した鋳型は流水文が多いため、摂津産銅鐸と東海派銅鐸は一見関係がないようにみえるが、この推定淡路島鐸の特徴的な意匠が、東海派のルーツが摂津産の銅鐸にあることを物語っているといえるだろう。

<参考文献>
辰馬考古資料館2008「東海派の銅鐸」『展示の栞34 銅鐸から銅鏡へ』
難波洋三2002「八王子銅鐸の位置づけ」『銅鐸から描く弥生時代』学生社
辰馬考古資料館1978「資料の解説-12流水文銅鐸」『銅鐸』

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