海外美術館の銅鐸(アジア編)
昨年、米国と欧州の美術館に所蔵・展示されている銅鐸を紹介した「海外美術館の銅鐸」(米国編08/6/26, 欧州編08/9/4)-第三弾はアジア編(といっても2箇所しかないが…)。
韓国国立中央博物館(National Museum of Korea)
まず、最初はお隣の韓国-2005年に龍山にリニューアルオープンした韓国国立中央博物館のアジア館-日本室に、和歌山県日高町出土の荊木(向山)銅鐸が展示されている(写真1)。実はこの銅鐸は東京国立博物館から貸し出されたもので、銅矛や銅戈といっしょに展示されていた。私が訪れたのは2007年5月なので定期的に他の銅鐸と入れ替えているかもしれないがその後のことはわからない。
荊木鐸は2個出土しており、よく似ているが(写真2)、韓国に貸出展示されているのはおそらく2号(まさか中央博に日本の銅鐸があるとは思わなかった…次の機会あれば東博の図録持参で観察してきたい)。いずれも後期の突線鈕式の近畿式銅鐸で80cm台とあまり大きくない。1号(左)には中央の縦帯に軸突線が入るので4式、2号(右)は3式に分類され2号の方が88.6cmと若干大きい(1号は82.2cm)。
展示室写真出典
イラク国立博物館(Iraq Museum International)
1932年(昭和7)大阪府太子町茶臼山山麓で出土した茶臼山九流銅鐸は発見後、個人蔵を経て東京国立博物館の所蔵品となっていたが、現在日本にはなく、イラク国立博物館の蔵品となっている(写真3)。これは1970年にイラク国との考古遺物交換品に選ばれたためで、その後2003年~イラク戦争(第二次湾岸戦争)によって、現在、実見はおろか所蔵の確認すらできない状態となっている。米軍侵攻時の混乱でイラク国立博物館の所蔵品の1万5千点が略奪や被害にあったと報道されており、茶臼山鐸の行方が気遣われる。
茶臼山鐸は、時代的にもレプリカ制作などされておらず、僅かに白黒写真が残されていただけだったが、最近末永雅雄氏旧蔵の拓本資料があることがわかった(中野2008)。拓本は片面だけだが、この資料の発見により詳細な文様観察が可能となった。茶臼山鐸は高さ42.1cmの扁平鈕式新段階の六区袈裟襷文銅鐸で、いくつかのバリエーションのある六区袈裟襷文銅鐸の中でも典型的な正統派といえるタイプ。難波分類の2類の中でも後出するとみられている(鍋島1998)。欧州編でベルリン美術館の船渡2号鐸を紹介したが、この茶臼山鐸も戦争の犠牲となった銅鐸といえそうだ。
イタリア国立東洋美術博物館(Museo Nazionale d' Arte Orientale "G.TUCCI")
茶臼山鐸のように交換文化財となった青銅器は他にもある。2006年夏にイタリア-ローマにある国立東洋美術博物館を訪れた際、香川県出土の中広形銅矛が展示されているのを見た。柄部分に漢数字で八一二(縦書き)と小さく筆で書かれていて、出土年か収蔵年かは不明だが、説明には1951年とあり、出土地については、遺跡や地名なく単に“香川”となっていた。
すわこれも明治の頃の国外流出品かと思われたが、帰国後、香川県高松市の知人Yさんに尋ねたところ、この銅矛は高松市郷東町下ノ山(石清尾山北麓緩斜面)で1878年に出土したもので、中広形銅矛が2点出土し、当初は2点とも東京国立博物館に収蔵されていたが、その後、1点がイタリアの国立東洋美術博物館に所蔵となっているという(もう1点の銅矛は813と続き番号なので東博に収蔵された時の登録番号らしい)。1951年は日本からイタリアへ渡った年である可能性が高く、おそらくイラク国立博物館の場合と同様、何らかの経緯で交換文化財に選ばれたのだと思われる。写真4はイタリアで撮影したものだが、ピカピカに磨かれて赤銅色を呈しており、『讃岐青銅器図録』の写真5と比べると刃部先端が破損している…
<参考文献>
東京国立博物館2005『東京国立博物館図版目録-弥生遺物篇(金属器)増補改訂』中央公論美術出版
鍋島隆宏1998「石川流域出土の銅鐸について」『太子町立竹内街道歴史資料館 館報』第4号(平成9年度)
中野咲2008「茶臼山銅鐸について-末永雅雄先生旧蔵拓本資料の整理から-」『青陵』第126号
瀬戸内海歴史民俗資料館1983『讃岐青銅器図録』
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)









奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

最近のコメント