« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月27日 (土)

荒神谷博物館 特別展「もう一つの青銅器世界-変わる銅鐸への想い-」

09_2先日、荒神谷博物館から恒例の夏季特別展の案内が届いた。今年は荒神谷銅剣発見25周年とかで、イベントが目白押しのようだ。

特別展の方は「銅鐸展」で、チラシを見ると、久田谷の破砕銅鐸、岡山県下市瀬遺跡の小銅鐸、徳島県矢野銅鐸の復元木製容器など-珍しい展示品が並んでいる。久田谷のバラバラ銅鐸を見に今夏、但馬国府・国分寺館を訪れようと計画していたが、夏の間は出雲に来ているらしい。下市瀬の小銅鐸は普段、展示されていないものなので、今回は貴重なチャンス。

講演会では、7/18の武末さんの「埋納銅矛再論」が注目、1982年に書かれた「埋納銅矛論」『古文化談叢』第9集から30年近く経ち、新見解が展開されるのか否か? 荒神谷博の講演会は、昨年の下條先生の講演も非常に面白かった-論文を読むのも大事だが、やはり生(ライブ)で聴講するのもいい-論文を書いた学者のキャラクターに触れることができる。

荒神谷遺跡には昨夏も訪れたが、今年もまた大賀ハスが池一杯に咲いていることだろう。

国宝青銅器出土25周年記念 平成21年度特別展
「もう一つの青銅器世界-変わる銅鐸への想い-」
平成21年7月11日(土)~8月31日(日)

今年と来年は、1984年に荒神谷遺跡で銅剣358本が、1985年に銅剣、銅矛が発見されてからそれぞれ25周年にあたります。総数380点の青銅器は国宝に指定されましたが、なぜこの地に埋められたのか、あるいはどこで製作されたのかといった多くの謎は、依然未解明のまま今日を迎えています。
荒神谷遺跡出土の青銅器の中で、銅鐸は型式的に国内で最も古い段階のものやその次の段階のものがありますが、今回の展示では、そうした荒神谷銅鐸とは特徴のうえで大きな隔たりがある銅鐸を取りあげてみました。
銅鐸の埋納場所の違いをはじめ、使用時期や地域性の違い、大きさの大小、材質の違い等々、荒神谷の銅鐸だけからはうかがい知れない、弥生時代人の銅鐸へのさまざまな想いを紹介したいと想います。

記念イベント
7月12日(土)
テーマ「ひかわ銅剣の日」
午前9時30分~記念式展
午前10時~講演1
松本岩雄氏(島根県立古代出雲歴史博物館学芸部長)「荒神谷発見の思い出」
午前11時~, 午後2時45分~, 午後3時45分~
NHK記録映画上映会
午後1時~講演2
松本岩雄氏「青銅の神殿出会い-荒神谷青銅器は何を語るか-」

特別講演会
7月18日(土)午後1時30分~
武末純一氏(福岡大学教授)「埋納銅矛再論」

第5回
8月22日(土)午後1時30分~
足立克己氏(島根県教育庁埋蔵文化財調査センター)「荒神谷発掘調査から25年」

参加費無料 資料代300円

荒神谷博物館   
〒699-0503
島根県簸川郡斐川町大字神庭873番地8
TEL 0853-72-9044
FAX 0853-72-7695

この他、7/11と12には、朝9時~オープニングセレモニー「弥生の舞」や「祝い餅配布!」がある。祝い餅というのも島根らしいが、弥生の舞は、斐川町荘原小に代々伝わる神秘的な舞とのこと…代々っていつ頃からなんだろう?!

また7/12に、古代出雲歴博では「荒神谷銅剣鋳造実験」が開催される。見所は午後3時前後の予定らしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月22日 (月)

日本考古学協会ポスターセッション「弥生時代における熔銅技術とその問題点」

Photo_2先月の5/31に早大で開催された考古学協会のポスターセッションで、愛媛大の村上恭通さんが「弥生時代における溶銅技術とその問題点」という非常に興味深い発表をされていた。村上さんからも直接いろいろとお話を伺えて、久しぶりに感動してまだ興奮が醒めやらない。

Photo_2従来、弥生時代の青銅器を造る際の原料を溶かすには、写真2(田原本町2006)のような小規模な炉が使用されたと考えられてきた。写真3(田原本町2006)は一昨年、奈良県田原本町の唐古・鍵考古学ミュージアムで復元実験(小泉武寛さんによる)が行われた際の様子だが、炉で溶かされた青銅が一旦取瓶(とりべ)に取られて(写真3-(6))、それから鋳型に流し込まれている(写真3-(7))。

Photo_3しかし、不思議なことに弥生時代の鋳造関連の遺跡からは、はっきりとした炉の跡が見つからない(唐古・鍵では炉と見られる遺構が検出されているが…)。出てくるのは鋳型片、中子片、送風管(鞴羽口)、銅鐸片、銅鏡片、銅滴、棒状銅製品、錫塊などなど…そして高坏状土製品というものがある。

高坏状土製品の例
唐古・鍵遺跡の高坏状土製品・送風管
楠遺跡の高坏状土製品


Photo弥生時代の高坏状土製品(写真4-村上2009)は、これまで炉から鋳型に鋳込む時使う「取瓶」と考えられていた。しかし、村上さんが今回発表された説は、取瓶とみられてきた高坏状土製品が、実はそれ自体が「土器炉」だったというもの(この土製品を「坩堝炉」だとする説は神崎勝さんが想定されているが(神崎2006)、外部から熱を受けた痕跡がない)。

これまでも使用する際は、この土器の内壁に粘土を分厚く塗ったと考えられいた(写真5-田原本町2006)。村上さんは、粘土を内貼りした土器(罐)内部に直接燃料(木炭)を充填して、その上面に素材(青銅片)を乗せ、そこにL字形に曲がった送風管(折れ羽口)で上方から風を吹き下ろすという方法を考えた(写真1-村上2009)。今回のポスターセッションでは、この方法で実際に実験した映像も見せていただいた。

Photo_3この方式だと鞴からの送風管の先端は直接、炉の中に挿入されていないため、例え焼けていても、青銅やスラグ(銅滓)が付着したり、溶融したりはしていない。先端がL字に曲がっているのも下側に吹き下ろすためと考えれば理解できる…これまでどうしてL字に曲がっているのか、銅が付着したりしていないのか、説明が難しかった弥生時代の鞴羽口の謎がこれで解ける。

内側の粘土は土器のように焼成していないため、屋外や土中で放置しておくと、流れてなくなってしまう…残された高坏状土製品の内側に粘土が付着していないわけである。また、村上さんの実験では銅を流し終えると、不思議と土器内に青銅はほとんど残らないということで。銅滴は飛び散るが、これは貴重な材料として回収されてしまうので遺跡にはほとんど残らない。村上さんによると、中国湖北省の盤龍城ではこの内側の粘土が残存した資料が出土しており、奇しくも村上さんらと全く同じやり方で復元実験をしていたという。

40kg現在出土している高坏状土製品で一度に熔解できる青銅の量は最大4kg程度ということで、45kgもある日本最大の大岩山銅鐸の鋳造には、12基以上の土器炉が必要となる計算になる(写真6-村上2008)。鋳型への流し込み作業は一発勝負であり、これだけ多数の土器炉を同時にタイミングよく稼働させる様はまるで“ダンス”のようで、青銅器鋳造が「秘技的なもの(非公開)」から「マツリ的なもの(公開)」に変貌していくと考えられるという。それが返って青銅器の呪術性の喪失を招いたという村上さんの指摘は、青銅器祭祀の終焉を考える上で今後重要な観点になると予感させる。

<参考文献>
村上恭通 2009「弥生時代における熔銅技術とその問題点」『日本考古学協会第75回総会 研究発表要旨』日本考古学協会
村上恭通編 2008『愛媛大学考古学研究室第9回公開シンポジウム 弥生・冶金・祭祀』愛媛大学考古学研究室
田原本町教委 2006『弥生時代の青銅器鋳造(唐古・鍵考古学ミュージアム・平成18年度秋季企画展図録)』
神崎勝 2006『冶金考古学概論』雄山閣

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年6月18日 (木)

第62回銅鐸研究会「銅鐸祭祀の終焉と纒向遺跡の出現-桜井市大福遺跡・脇本遺跡の事例を中心に-」

Photo久しぶりに滋賀県野洲市の銅鐸博物館から銅鐸研究会の案内が届いた。今回は前からリクエストしていた「破砕銅鐸」がテーマとなるらしい。

奈良県には弥生後期の突線鈕式銅鐸はないとされてきたが、一昨年12月と昨年4月、脇本遺跡大福遺跡(写真1)から相次いで大型の近畿式銅鐸の破片が鋳造関連遺物と共に出土し、以前纒向遺跡で出土した飾耳片(写真2)も再評価されることになった。

第62回銅鐸研究会

日 時  平成21年7月4日(土)14:00~16:00
演 題  「銅鐸祭祀の終焉と纒向遺跡の出現-桜井市大福遺跡・脇本遺跡の事例を中心に-」
講 師  橋本 輝彦さん(桜井市教育委員会)
場 所  野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)1F研修室
対 象  どなたでも
定 員  120名(当日受付)
参加費  受講料は無料ですが、入館料(大人200円、高大生150円、小中生100円)が必要です。

Photo_2邪馬台国の有力地と考えられる桜井市纒向遺跡に近い大福遺跡や脇本遺跡からは、壊された銅鐸の破片や青銅器鋳型の一部が相次いで出土しており、これらは銅鐸を鋳つぶして他の青銅器を鋳造したと考えられています。そこで、今回は、銅鐸祭祀の終焉とヤマト政権の成立についてお話いただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。

■問い合わせ先■
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)
滋賀県野洲市辻町57-1
電話077-587-4410 FAX077-587-4413

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »