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2010年5月

2010年5月17日 (月)

第64回銅鐸研究会「近江の弥生遺跡と銅鐸」

S 第64回銅鐸研究会

2010年6月12日(土) 14:00~16:00
「近江の弥生遺跡と銅鐸」について滋賀県文化財保護協会の伊庭功氏にお話していただきます。

■問い合わせ先■
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)
滋賀県野洲市辻町57-1
電話077-587-4410 FAX077-587-4413

写真は、広瀬和雄・伊庭功編『弥生の大型建物とその展開』(2006年/サンライズ出版)

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2010年5月12日 (水)

銅鐸展示公開情報-大阪市立美術館・藤田美術館・福井県立歴史博物館

奈良の鹿さんと北さんからご教示いただいた銅鐸展示情報をUPしました。

Photo大阪市立美術館「日本工芸-縄文土器から和鏡・古瀬戸・室町漆器まで-
平成22年4月13日(火)~6月20日(日)
縄文土器・銅鐸などの原始美術から、和鏡・古瀬戸・室町漆器・茶釜など、近世初頭までの日本工芸を紹介します。

伝大阪府堺市陶器山出土(大阪府指定文化財 青銅 流水文鐸/写真)

お問い合わせ
大阪市立美術館
住所: 〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1番82号
電話: 06-6771-4874 ファックス: 06-6771-4856
開館時間: 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日: 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館)、年末年始


藤田美術館 平成22年春季展「歴史を彩る 教科書に載る名品
会期 平成22年 3月6日(土)~6月13日(日)
教科書、雑誌、テレビ、インターネット・・・。現在は、様々なメディアに載る資料を 通じて、日本の歴史や文化を手軽に知ることが出来ます。そこで本展覧会では、教科書に掲載されている国宝「紫式部日記絵詞」や重要文化財 「雪舟自画像」を中心に、一度は見たことがある作品を展示いたします。

流水文銅鐸

藤田美術館
住所: 〒534-0026 大阪市都島区網島町10番32号
電話: 06-6351-0582
FAX: 06-6351-0583
休館日: 月曜日(月曜祭日の場合は翌火曜日)
開館時間: 午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)


福井県立歴史博物館でも、明大1号鐸(井向1・2号鐸と共伴とされる流水文銅鐸で伝堺市陶器山鐸や加茂岩倉21号鐸、気比4号鐸と同笵)が下記企画展で展示中。また体験用のレプリカだが、井向2号鐸(名古屋市博物館寄託保管)も展示されている(中日新聞記事参照)。

春の企画展「祈りの音 遊びの音-楽器でたどる人と音の歴史-」
4月24日(土)~6月6日(日)
期間中休館日:5月12日(水)、26日(水)

銅鐸(明治大学博物館蔵・伝旧春江町大石出土)

中日新聞

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2010年5月 9日 (日)

長尾博物館旧蔵銅鐸-各地の銅鐸群と近畿式銅鐸成立の鍵を握るか?

Photo 『大阪府の銅鐸図録』-あの野上丈助氏が様々な障害を乗り越えて開催にこぎつけたと言われる銅鐸展の図録。

大阪府下出土の銅鐸は約30を数え、全国的に見て決して少ない数ではない。また府下の博物館や美術館には他県や出土地不明の銅鐸も含めるとかなりの数の銅鐸が所蔵されている。しかし現在常設で見られる銅鐸はレプリカを含めても12個足らず。美術館等に保管されていても個人蔵の寄託品などはほとんど見ることは叶わない状況である。

この図録は国会図書館で初めて見たが、カラーではないものの、大判の写真、ほぼ全銅鐸の実測図付きと-大阪府の銅鐸資料としては、いや全国的にみてもこの水準を抜く資料集はほとんどないだろう。その中でどうも違和感のある銅鐸(写真1)が一つあった。一見よくある四区袈裟襷文銅鐸なのだが、何か違う。所蔵先を見ると、故長尾卯吉氏(長尾博物館)旧蔵となっており、出土地は伝大阪府とされるが詳細は不明のようだ。島根県の銅鐸出土地名表では、現在は大阪市立美術館の保管となっているが、寄託資料のせいなのか美術館に問い合わせても「そんな銅鐸は所蔵していません」と門前払い状態。この銅鐸、梅原先生の『銅鐸の研究』にも載っておらず、他には参考文献はない。『大阪府の銅鐸図録』が唯一の資料らしい。

S さて長尾氏旧蔵銅鐸-何がどう違うのか、ここでは三点ほどその特徴を説明し、“謎の銅鐸”をご紹介したい。

・この銅鐸を一見すると、全体のフォルムや鰭・飾耳の形状は、「渦森型」と呼ばれる四区袈裟襷文銅鐸に似ている(写真2:神戸市渦森鐸)。大きさも全高46.9cmで渦森型の標準的なサイズ。ただし舞長径は短く扁平率も1.35と低い-これは後で触れる鈕の形状とも関係しているのだろう。渦森型は数は少ないが(難波洋三氏による集成だと全部で5点)、流水文銅鐸の有本型との関係が指摘されており、河内産の銅鐸とみられている。

・しかし横帯をみると、瀬戸内渦巻き派とも呼ばれる「横帯分割型」で、横帯の上段が格子目文、下段が連続渦巻き文という典型的な瀬戸内渦巻き派である。「横帯分割型」は桜ヶ丘4,5号鐸や伝香川県鐸を祖型として成立した型式-瀬戸内正統派の一種-で、基本的には六区袈裟襷文で、フォルムはスマートな形態で末広がりな渦森型とは全く異なっている。ちなみに渦森型の袈裟襷も上下二段になっているものはあるが、上段が格子目文、下段が連続渦巻き文という文様はない。

・そして最も変わっている点は、鈕の形状が「小判形」と呼ばれる後期銅鐸に近いことである。中期までなら通常は「兜形」であるべきで、それでは突線鈕式かというと、どうみても突線鈕式ではない。袈裟襷の界線は二重になっていないし、突線もない。

1s11s・鈕の周辺エッジ部はギザギザになっていて、3対の飾耳が付いていたものが外れた可能性がある。しかし渦森型や近畿式の古式に見られる鈕の飾耳が鈕外縁部に少し食い込んだような形跡はなく、最初から飾耳はなかったのかもしれない-すると渦森型系列の中では特異で、鈕の形状としては三遠式との類似も想起される。また菱環部の綾杉文が下向きになっている-これも中期銅鐸にはない後期銅鐸の特徴-しかし後期銅鐸の特徴である鈕脚壁は見当たらない?

長尾氏旧蔵鐸について、鍋島隆宏氏は「石川流域出土の銅鐸」の中でこの銅鐸を「渦森型」の後継-「長者ヶ原型」に位置付けている(左[写真3]:神戸市桜ヶ丘11号、右[写真4]:徳島県(伝)長者ヶ原1号)。おそらく長者ヶ原型の後継に位置付けられるのが、東国博所蔵の伝和歌山県那珂郡・粉河鐸(写真5/突線鈕I式/58.6cm)になるのだろう。

Photo 中期後半からの銅鐸群の各地での林立-その後の統合についての議論は盛んだが、いくつかの銅鐸群に跨るような特徴を持つ長尾氏旧蔵鐸の存在は、銅鐸群の形成と近畿式銅鐸の成立が河内の銅鐸工人集団を軸として進められた可能性を窺わせる。また近畿式銅鐸のベースとなるモデルが渦森型とする考えは佐原先生の説だが、中期末以降一時期銅鐸の主流を占めた瀬戸内正統派固有の横帯分割型の文様や後期銅鐸の形態的特徴となる小判形鈕をこの銅鐸が既に持っていることは、佐原説の妥当性を示すものといえるのではないだろうか。

<参考文献>
大阪府立泉北考古資料館 1986『大阪府の銅鐸図録』
鍋島隆宏 2002「石川流域出土の銅鐸」『太子町立竹内街道歴史資料館館報』第4号 平成9年度
難波洋三 2005「松本清張所蔵銅鐸」『松本清張研究』第6号 北九州市立松本清張記念館

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