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2012年2月23日 (木)

鬼虎川遺跡出土鋳型の銅鐸復元される

Photo 最近銅鐸のニュースがないと思っていたら、東大阪市の上田合金が鬼虎川遺跡で1981年に出土した銅鐸鋳型片を基に銅鐸を復元したというニュースを見つけた。

復元された銅鐸は2/6~17まで、復元作業の工程資料などと一緒に東大阪市役所1階で公開されるという。おそらくその後は鬼虎川の鋳型のある東大阪市立郷土博物館に展示されるのだろう。





12_2 鬼虎川遺跡出土鋳型は淡路島の慶野出土の銅鐸に似ているので、慶野型と名付けられている。今回の復元では加茂岩倉の12号をモデルにしたということだが…
写真左が慶野鐸、右が加茂岩倉12号

上田合金は「上田工房」の名前で月一回、実験考古学の勉強会を開催している。実験考古学といっても京都の「小泉工房(和銅寛)」とは違って鋳造方法は近代式。社長の上田富雄氏は以前5mmより薄い銅鐸は作れない とコメントしていたが、今回の復元銅鐸は厚さ3mmで高さ31cm、重さ約3kgというから、かなり弥生時代の銅鐸に近づいてきた感じだ。

実は最近某オクで上田工房製の銅鐸を購入した。八尾の恩智垣内山で出土した銅鐸をモデルにした模鋳品で、44cmと実物と同サイズ。同じものが八尾市の歴史民俗資料館にも展示されている。やけに重いので計ってみたら10kgもあった(実物は6.3kg)

Photo_3 上田合金は全高1.6m、最大幅1.1m、重さ300㎏という超巨大銅鐸を作って東大阪モノづくり大賞も受賞しているが、この世界最大の銅鐸は今どこにあるのだろう?

※この記事書きかけで忘れていたら公開日が過ぎてしまっていた…申し訳ありません



よみがえった黄金色の銅鐸 「ものづくりの魂」2200年後の東大阪で復元
産経新聞 1月30日

大阪府東大阪市の鬼虎川(きとらがわ)遺跡で昭和56年に出土した弥生時代の銅鐸(どうたく)の鋳型片をもとに、市が町工場に依頼して復元を進めてきた銅鐸が完成し、約2200年前の黄金色の輝きがよみがえった。復元したのは同市高井田中の鋳造業「上田合金」。市から「ものづくりのまち東大阪の新しいシンボルにしてほしい」と依頼され、イージス艦のバルブ製作も手がける技術を駆使し、高さ31センチ、重さ約3キロの精巧な銅鐸を完成させた。銅鐸に詳しい奈良文化財研究所の難波洋三企画調整部長によると、東大阪は弥生時代中期に朝鮮半島から輸入した原料で鋳造した銅鐸を出雲地方へ運び出しており、当時も「ものづくりのまち」として栄えていたという。上田富雄社長(76)は「銅と錫(すず)を混ぜた合金を鋳型に厚さ3ミリの薄さでまんべんなく流し込む作業が難しかった。弥生時代の鋳物師の魂を感じた」と話した。復元された銅鐸は2月6~17日、復元作業の工程がわかる資料とともに東大阪市役所1階で公開される。

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