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2013年8月

2013年8月18日 (日)

国宝銅鐸に渦巻き文様 九博の3次元解析で判明

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国宝銅鐸に渦巻き文様 九博の3次元解析で判明
西日本新聞2013/08/18

三次元計測した桜ケ丘12号銅鐸。新たに「四頭渦文」が浮かび上がった。写真は模様を書き起こしたもの

九州国立博物館(福岡県太宰府市、九博)と神戸市立博物館は17日、49年前に神戸市で出土した国宝・桜ケ丘12号銅鐸(どうたく)の文様が新たに判明したと発表した。四つの渦巻きを線でつないだ「四頭渦文(しとうかもん)」という文様で、九博の3次元計測器で解析した。

桜ケ丘銅鐸(紀元前2~同1世紀)は1964年、神戸市灘区で出土した大小14個。他に武器型青銅器の銅戈(どうか)7本も見つかった。所蔵する神戸市博によると、大型のものでは水の流れを表す「流水文」、鹿やトンボなどの絵が確認されたが、3番目に小さく、表面が摩耗した12号銅鐸(高さ31センチ)の文様はこれまで判別できなかった。

桜ケ丘銅鐸・銅戈を九博で特別公開するのに合わせ、二つのカメラで立体的に撮影する3次元計測を行った。両面に四頭渦文を一カ所ずつ確認した。一方が縦6センチ、横4・5センチ。もう一方が縦4・2センチ、横3・8センチ。四頭渦文は他の桜ケ丘銅鐸などでも類例はある。

九博で成果を公表した神戸市博の橋詰清孝学芸員(日本考古学)は「謎だった12号銅鐸の文様構成を明らかにし、桜ケ丘銅鐸全体の解明につなげたい」と強調。残りの銅鐸・銅戈の画像解析も進めるという。桜ケ丘銅鐸・銅戈は9月29日まで九博で展示している。


国宝銅鐸に渦巻き模様 立体画像で解析 神戸市博
神戸新聞2013/8/18
ほぼ全面がさびに覆われ、模様の詳細が不明だった神戸市立博物館所蔵の国宝「桜ケ丘12号銅鐸」に、渦巻きや半円形が描かれていることが17日、分かった。こうした模様の組み合わせは極めて珍しく、銅鐸研究の貴重な資料になるという。

弥生時代の祭事に使われた青銅の鐘「銅鐸」は、近畿を中心に全国で約600個確認されている。桜ケ丘銅鐸は1964年、同市灘区桜ケ丘町の六甲山斜面で14個見つかった。全国でも絵が判別できる銅鐸は1割ほどしかないというが、桜ケ丘銅鐸の中には人物や鳥などが描かれたものもあり、70年に国宝指定された。

12号銅鐸は高さ31センチ、重さ2・6キロ。紀元前2~1世紀の製造とみられ、同時に出た14個の中では唯一、模様がほとんど分かっていなかった。

同博物館は今年7月から九州国立博物館(福岡県太宰府市)と共同調査を実施。エックス線を3方向から当てるスキャナーと、特殊な3Dカメラで立体画像を再現し、模様を浮かび上がらせた。

その結果、片面の左下付近に、四つの渦巻きや半円を重ねたような模様があることが判明。ほかにも複雑な帯状の模様が確認されつつあり、さらにデータ解析を進める。

「全容が分かれば、詳しい製造場所や時期の特定につながる可能性もある」と同博物館。同博物館は9月末まで休館で、10月上旬には模様の分かる復元品とともに再展示する。


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九博の銅鐸シンポジウムは帰省した折りに聴講してきた。定員は280名だったが懸念された通り会場はガラガラ…やはり九州の古代史・考古学ファンは銅鐸には関心がないらしい。そんなことはともかく、会場受付でレジメを受け取ると予定されていた三名の講師の他に、神戸市博の学芸員の方(橋詰清孝さん)の速報が加わっている?!橋詰さんの演題に“新発見”とあることから銅鐸絵画の新例でも見つかったかと思ったが、絵画どころか非常に興味深い発表だった。3D計測された銅鐸の表面に重弧文と四頭渦文の画像が見えた時は思わず息を呑んだ…その上鐸身最上部(舞直下)の袈裟襷の上に少し空間があること、網代文らしき図、そして飾耳らしき部分には綾杉文まで…「摂津系?!」という言葉が思わず出てしまった。

このブログでも、かねがね“摂津系VS河内系”という工人系列をキーワードに銅鐸を見てきたが、さすが斬新な摂津系銅鐸~こちらの予想を超えたデザインでいつも度肝を抜いてくれる。10月にはリニューアルした神戸市博に復元銅鐸も並んで展示されるというので、楽しみである。

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2013年8月 8日 (木)

滋賀県高島市・上御殿遺跡 双環柄頭短剣の鋳型出土

Photo_11中国伝来か、短剣の鋳型出土=流通ルート解明に道-滋賀
jijicom 時事ドットコム 2013/8/8

滋賀県文化財保護協会は8日、同県高島市の上御殿遺跡で、剣を握る柄(つか)に二つの輪が付いた「双環柄頭短剣(そうかんつかがしらたんけん)」の鋳型が国内で初めて出土したと発表した。弥生時代中期から古墳時代前期のものとみられる。これまで国内で発見された銅剣と異なり、中国から伝わった可能性があり、銅剣の流通ルートを解明する上で貴重な発見という。
同協会によると、鋳型は上下2枚1組で、いずれも長さ約29.5センチ、幅約8.8センチ。近畿地方の銅鐸(どうたく)に多く使われる石材でできており、同地方で造られたとみられる。上下で合わせる目印とみられる十字線が引かれ、いずれも裏面が削られ薄くなっていた。2枚の鋳型が同時に出土するのは極めて珍しく、彫り込まれた柄の長さが異なることなどから、未完成か失敗作だった可能性もあるという。

写真中央の短剣は複製した鋳型で作ったもの


Photo_12騎馬民族の銅剣鋳型 日本初出土 滋賀・上御殿遺跡 大陸から直接伝来か
SANKEI EXPRESS 2013/8/9

中国の華北や内モンゴルに分布したオルドス式銅剣の特徴を持つ双環柄頭短剣の鋳型が国内で初めて滋賀県高島市の上御殿遺跡で出土し、県文化財保護協会が8月8日発表した。弥生中期-古墳時代前期(紀元前350~紀元後300年ごろ)のものとみられる。

九州などで出土している細形銅剣は、中国の遼寧式銅剣がモデルで、朝鮮半島を通じて伝わった。オルドス式は朝鮮半島にも出土例はなく、中国から日本海ルートで伝わった可能性があり、青銅器流入の見直しを迫る発見となりそうだ。

Photo_13■オルドス式の特徴

鋳型に彫られた短剣は柄頭にある双環など中国の春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年)のオルドス式と似た特徴がある。協会によると、上御殿遺跡は日本海まで約30キロと近いことから、九州を経由せず、日本海を通じて大陸と交流した可能性があるという。
鋳型は2枚一組の板石で、長さ29.5センチ。石材は泥が固まったシルト岩で産地は不明。鋳型の彫り込みが浅く、仮に製作しても刃の厚さが3ミリと薄く、実用品とは考えにくいという。鋳型は未使用のため、試作品か失敗品とみられる。鋳型は合わせた状態で見つかった。

出土した地層は縄文-古墳時代と年代幅があり、遺物がほとんど出土しないため、年代がよく分からなかった。弥生の青銅器にある複合鋸歯文が鋳型にもあったことや、国内での青銅器生産時期を参考に鋳型年代を推定した。

遼寧式銅剣は、中国・遼寧省付近で紀元前9世紀~紀元前3世紀に作られ、剣身、柄、柄頭を別々に作るが、オルドス式は一体で鋳造するのが特徴。佐賀県唐津市柏崎では遼寧式とオルドス式の影響を受けた触角式銅剣が出土している。

■弥生人、独自交流も

柄頭を飾る2つのリング、まっすぐ伸びた剣身…。出土した鋳型には、はるか西方の遊牧騎馬民族が持つ短剣が彫られていた。「朝鮮半島にも九州にもない短剣が、なぜ近江に」「何に使ったのか」。多くの謎に研究者が頭を抱えている。
吉田広愛媛大准教授(考古学)は「思ってもみない発見で驚いた。鋳型が大陸への窓口だった九州や近畿を飛び越え、近江で出土したことが重要。丹後や北陸、長野県でも大陸製とみられる鉄剣や鉄刀が発掘されており、各地の弥生人が大陸と独自に交流していた可能性も出てきた」と話す。

宮本一夫九州大教授(考古学)は「製品化には失敗しただろう。オルドス式は逆手に持って振り下ろし、相手にとどめを刺す武器。ところが鋳型の剣には、つばがない。武器の体をなしておらず、使い方を理解していなかったとしか思えない」と言う。難波洋三奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長は「この鋳型で剣を作ると、刃の厚さは約3ミリでぺらぺら。実用品でなく祭祀(さいし)用かも」と推測した。

■オルドス式と遼寧式銅剣
オルドス式銅剣は、中国の華北や内モンゴル自治区などに分布する。内モンゴルのオルドス地方で発見されたことから名付けられた。柄は動物や双環などのモチーフで飾られ、春秋戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)に最盛期を迎える。遼寧式は中国・遼寧省を中心に、紀元前9~紀元前3世紀に作られた。九州などで出土する細形銅剣のモデルとなった。

現説資料/公益財団法人滋賀県文化財保護協会


このニュースも月刊文化財発掘出土情報か何かで知って、その後、秋に滋賀県愛荘町の資料館を訪れた際に、県の埋文センターのパンフを見て思い出した。

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