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2015年5月

2015年5月31日 (日)

第74回銅鐸研究会「銅鐸の埋納をめぐって」

Kamo4


第74回銅鐸研究会「銅鐸の埋納をめぐって」

日時/2015/6/20(土)14:00~16:00 
場所/銅鐸博物館(野洲市)
入館料大人200・高大生150・小中学生100、野洲市民は無料
お問い合わせ先/Tel:077-587-4410

※講師:石橋茂登さん(奈良文化財研究所 飛鳥資料館)。当日受付先着120名

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2015年5月19日 (火)

パワーショベルで偶然発掘「教科書で見たことあるような…」スマホで検索、報告

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今回の銅鐸は、兵庫県南あわじ市の玉砂利製造会社の砂山で土砂の選別作業中、大きな銅鐸に小さな銅鐸が入る「入れ子」の状態の1組2個が偶然見つかったのが始まりだった。

「教科書で見たことがあるような…」。4月8日、同市内にある「マツモト産業」の工場で、副工場長の西田達(とおる)さん(51)が造園などに使う玉砂利を採取するため、土砂をパワーショベルですくったとき、大きな塊が目に入った。

車両から降り、砂まみれの塊を手にした。水洗いすると青さびが見えたため銅製品と思い、スマートフォンで「歴史 銅製品」と検索。銅鐸の可能性が高い、と松本康宏社長(70)に報告した。

翌9日、連絡を受けた市教委や同社社員ら約15人で工場や土砂保管場を調べて回った。すると、保管場の砂山で、入れ子の銅鐸1組2個が顔をのぞかせているのが見つかった。

4月14日から本格的な調査が始まり、23日までに入れ子の1組2個と1個を見つけた。松本社長は「社員総出で探した結果が、大発見につながった」と笑顔をみせた。

土砂は約10年間にわたって市西部の松帆(まつほ)地区の水田を掘り返し、下層から採取した。正確な場所を突き止めるには、同社に残る過去の台帳を調べるしかないという。兵庫県教委文化財課の山下史朗副課長は「時間がかかっても解明し、必要なら発掘調査もしたい」と力を込めた。

産経WEST 2015.5.19

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7つの銅鐸 航海の安全祈る? 西への防衛? 近畿の弥生社会解明に重要資料

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一度に7個もの銅鐸が発見された兵庫・淡路島。島内では過去にも発見されているが、その理由は分かっていない。九州や瀬戸内との海上交通で畿内の入口となる淡路島の位置から、航海の安全の祈りや西方への防衛と推測する意見もある。銅鐸を打ち鳴らす青銅製の舌(ぜつ)を伴っているのも珍しく、近畿の弥生社会を解明する重要な発見となりそうだ。

「舌があったとは…」

兵庫県南あわじ市埋蔵文化財調査事務所の定松佳重課長補佐は、驚きを隠さない。発見時に、棒状の舌を3本も確認したからだ。

発見された銅鐸は今回を含め530個以上となり、このうち兵庫県では全国最多の68個。淡路島はその中でも多い。古津路(こつろ)遺跡(南あわじ市)からは昭和40年代に14本の銅剣も見つかっている。神聖な祭祀(さいし)の場だったことがうかがえる。

難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長は「今でこそ淡路島は近畿の周縁だが、九州方面から見れば瀬戸内海の突き当たりの場所に当たる。交通の要衝だった」と話す。

森岡秀人・奈良県立橿原考古学研究所共同研究員も「西に向けた砂浜に埋めたという『海に向けての奉献祭祀』だったと考えたい」と海とのかかわりを指摘する。

難波氏によると、今回の銅鐸の多くは近畿の工房で鋳造された可能性が大きいという。

寺沢薫・奈良県桜井市纒向(まきむく)学研究センター所長は「大量の銅鐸の埋納となると、『政治的な原因』による危機意識の表れと解釈した方がいい。瀬戸内や九州など西方からの侵入者を払いのけるような力を銅鐸に込めたのではないか」と推測する。

銅鐸の祭りは、邪馬台国の女王・卑弥呼らの銅鏡を使った祭祀や、古墳の造営にとって代わられたというのが通説だ。近畿の弥生社会の複雑さをうかがわせる今回の発見。詳しい調査の進展を見守りたい。

産経WEST 2015.5.19

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淡路島で銅鐸7個「数十年に一度の大発見」 土砂選別作業がきっかけ

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兵庫県南あわじ市の玉砂利製造会社の砂山から、祭祀(さいし)などに使われたとされる銅鐸(どうたく)が7個見つかり19日、県教委が発表した。紀元前3~2世紀(弥生時代前期末~中期初頭)に鋳造された古式の銅鐸で、多数確認例では加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個、大岩山遺跡(滋賀県野洲市)の24個、桜ケ丘遺跡(神戸市)の14個に次ぐ4番目。専門家は「数十年に一度の大発見」としており、謎の多い初期銅鐸を解明する史料になりそうだ。

銅鐸7個の大きさは高さ31・8~22・4センチ。底幅18・5~12・8センチ。3組6個は加茂岩倉遺跡と同様に、大きな銅鐸に小さな銅鐸を入れ込む「入れ子」の状態で、埋納状態を復元する手がかりになるという。また、1個は菱環鈕(りょうかんちゅう)式と呼ばれる最古型式で、11例しか確認されていない。残る6個は外縁付(がいえんつき)鈕式という2番目に古いタイプだった。

3個からは、銅鐸の内側に取り付け、打ち鳴らすための「舌(ぜつ)」と呼ばれる青銅製の棒(長さ約13~8センチ)も3本確認された。青銅の舌が銅鐸と同時に見つかったのは珍しい。舌は摩滅しており、実際に鳴らされたことを裏付けている。

今後、奈良文化財研究所で型式や模様などを詳しく調べる。

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銅鐸は4月、玉砂利製造会社の砂山から見つかった。土砂は同市西部の松帆(まつほ)地区を中心に約10年前から集められていたというが、正確な出土地は不明。7個は松帆銅鐸と名付けられた。県教委は今後、銅鐸の公開も検討する。

銅鐸研究の第一人者、難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長の話「数十年に一度の大発見。古式の銅鐸である上、『舌』を伴っているのも珍しく興味深い。埋納の際、鳴らす機能を奪うため舌を外すと考えていたが、淡路は例外だったようだ」

産経WEST 2015.5.19

NHKの夕方のニュース見ていて知ったが、淡路からというのを聞いてそれほどの驚きはなかった。出土地周辺からは以前から青銅器の出土が多く、江戸時代の中御堂の銅鐸(8個出土ともいわれる)や古津呂の銅剣出土(14本)など前から注目していた地域だったからだ。

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