1最新情報

2023年11月28日 (火)

西宮・辰馬考古資料館 12月3日で休館(建て直し)

12月3日で休館の西宮・辰馬考古資料館 「目玉資料」弥生時代の銅鐸40点を展示

Photo_20231128214601 弥生時代の祭器「銅鐸(どうたく)」37点を展示する秋季展「摂津の銅鐸と河内の銅鐸」が、西宮市松下町の辰馬考古資料館で開かれている。同館は50周年に向けた建て替え工事のため、秋季展最終日の12月3日で休館。リニューアルオープンは5年後を見込んでおり、「目玉と言える資料を並べたので休館前に見てもらえれば」と呼びかける。

同館は1978年、銘酒「白鷹」蔵元の3代目故辰馬悦蔵さんが建てた。辰馬さんが収集した土偶や銅鐸など考古品約300点のほか、初代当主と親交のあった画家・富岡鉄斎の作品約150点を所蔵している。

建て替え工事は、同館が2028年に50周年を迎えるのに合わせて実施する。鉄筋コンクリート造りの平屋を取り壊し、同じ場所に建物を新築する。阪神・淡路大震災で基礎部分が傾き、壁面や空調設備などの老朽化も進んでいたという。

秋季展では、全国各地で出土した高さ20~60センチの銅鐸を並べた。現在の大阪府茨木市や東大阪市で作られたものとされ、流れる水のような線が入った「流水文(りゅうすいもん)」や、格子状の「袈裟襷文(けさだすきもん)」の模様が見られる。鹿やイモリ、船をこぐ人を描いた「絵画銅鐸」もある。

学芸員の青木政幸さん(49)は「ぱっと見て同じような銅鐸でも、作り方や模様に細かい違いがあることに気づいてほしい」と話していた。

午前10時~午後4時半。月曜休館。一般200円。10月29日と11月25日は午前10時半と午後3時から、青木さんの展示解説がある。同館TEL0798・34・0130(地道優樹)

(神戸新聞NEXT 2023/10/17)

辰馬考古資料館が現在開催中の秋季展終了後、休館となってしまうことを知った(現在の建物は取り壊し→建て直しなので、リニューアルオープンは4-5年後になるらしい)
今回の秋季展では大型の銅鐸は少ないが、いろいろな種類の銅鐸が多数展示されている。普段は見られない銅鐸内部が観察できるように横倒し展示されているものもいくつかあった。残り一週間を切ったが是非見学をオススメします。


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2023年9月28日 (木)

「内間銅鐸」90年ぶり“帰還” 所在不明の香川県内出土品 東京国立博物館が保管

1 「内間銅鐸」90年ぶり“帰還” 坂出・鎌田共済会博物館 所在不明の県内出土品 東京国立博物館が保管

2千年前の銅鐸(どうたく)、約90年ぶりに帰還―。鎌田共済会郷土博物館(香川県坂出市本町、大山真充館長)は28日、昭和初期から所在不明になっていた同館所有の青銅器「内間(うちま)銅鐸」が返還されたと発表した。東京国立博物館が、来歴不明の文化財として保管していた。同郷土博物館は「これほどよい状態で戻ってくるのは希有(けう)な例。県民の共有財産でもあり、今後、調査・研究を進めていきたい」としている。

同館によると内間銅鐸は、上部の「鈕(ちゅう)」と呼ばれる部分の形状などから、約2千年前の弥生時代中期ごろのものとみられる。高さ29・7センチ、幅は最も長いところで15・7センチ、重さ1019グラムと、県内出土品では最小級。胴体部分の「身」には、当時のものによく描かれた斜格子文を縦と横に帯状に交差させて4区画に分割した「袈裟襷文(けさだすきもん)」が施されている。

銅鐸は1926(大正15)年、綾川町陶の内間地区の畑で作業をしていた大川筆次さんが発見し、30(昭和5)年に同館へ寄贈した。当時の職員が拓本や発見状況記録を作成、翌31年には後に京都帝国大教授となった銅鐸研究の第一人者・梅原末治さんが同館を訪れて調査記録を残したが、33年に研究誌で紹介されたのを最後に、所在が分からなくなっていた。
東京国立博物館から連絡があったのは、2021年9月。近年、新たに公開された文献を調査した結果、同館が保管する来歴不明文化財の一つが内間銅鐸である可能性が浮上。同郷土博物館が持つ拓本や資料を突き合わせて間違いないと判断し、所有者の元で活用してほしいと、今年3月に返還された。
大山館長は「これだけ長く所在が分からなかったものが、戻ってきたことに驚いている」とコメント。その上で「弥生時代の畿内との交流の様子や、影響の波及状況を知ることができる貴重な資料。しっかりと研究を進めたい」と述べた。
県内での出土品とされる銅鐸で現在、実物を確認できるものは14点。このうち、「我拝師山銅鐸」の1点が県立ミュージアム(高松市)で一般公開されている。返還を受けて同郷土博物館で10月1日~3月22日、展覧会「讃岐の銅鐸」を開催し、内間銅鐸の実物のほか資料や他の銅鐸の拓本などを展示する。入館無料。問い合わせは同館0877-46-2275。
(四国新聞 2023/09/29)

2 “所在不明の弥生時代の銅鐸” 90年ぶり香川に帰り公開へ

大正時代に綾川町で出土し、長年、所在が分からなかった弥生時代の銅鐸が見つかり、坂出市の博物館で一般公開されることになりました。
このほど見つかった「内間銅鐸」は、大正15年に綾川町で出土した弥生時代中期の銅鐸で、高さが29.7センチです。
文様は、縦帯と横帯で4つに区画された袈裟襷文で、「身」と呼ばれる胴体の上の端に一対の飾り耳があります。
昭和5年に坂出市の鎌田共済会郷土博物館に寄贈され、記録や拓本が作成されましたが、その後所在が分からなくなりました。
おととし、東京国立博物館に保管されていたことがわかり、ことし3月に返却され、およそ90年ぶりに香川県に帰ってきました。
県内では、これまでに銅鐸が20点ほど出土したとされていますが、ほぼ完全な姿で実物が見られるのは、貴重だということです。
鎌田共済会郷土博物館の宮武尚美主任学芸員は「2000年ぐらい前の人たちがどんな思いで銅鐸を作り、鳴らしていたのか、想像してもらうと、楽しいのではないか」と話していました。
内間銅鐸は、坂出市の鎌田共済会郷土博物館で、10月1日から来年3月22日まで開かれる「讃岐の銅鐸」展で一般公開され、その後、4月2日から常設展示されます。
(NHK 09月28日 18時04分)

郷土博通信No.22(2023年 秋)ダウンロード
内間銅鐸に関する詳しいレポートが掲載されています。

1_20231012121001 久しぶりの銅鐸の発見である(正確には再発見というか所在確認)。四国新聞の記事に文様の概要図が載っていたが鰭の右と左で鋸歯文の下がり方が異なる特徴を持っている(右がL鋸歯文、左はR鋸歯文)。下辺横帯の鋸歯文も左右でL鋸歯文とR鋸歯文が向き合っている。また袈裟襷の横帯と縦帯が中央で重なっているのも普通の銅鐸のルールを守っていない。鰭が下方で裾広がり気味になるのも特徴といえる。

Photo_20231012121401 倉敷考古館の種松山銅鐸と同じタイプであり、種松山と同范の安都真1号銅鐸(徳島市)や岡山県総社市で2014年に出土した神明銅鐸、それから岡山市の雄町銅鐸など、中四国中心に分布しているこのタイプの銅鐸にまた一つ新しい資料が加わったことになりそうだ。

写真上は種松山銅鐸(左)と安都真1号銅鐸(右)、下は内間銅鐸拓本

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2022年8月25日 (木)

中越遺跡「小銅鐸」木更津市指定文化財に

C_20231010183701 中越遺跡「小銅鐸」木更津市指定文化財に (きさこん【新千葉新聞】

木更津市は8月9日付で、木更津市大久保の中越遺跡(なかごしいせき)から出土した『中越遺跡出土小銅鐸(しょうどうたく)附石製舌(つけたりせきせいぜつ)』を、木更津市指定文化財(第36号)に指定した。
種別は有形文化財(考古資料)。
この「小銅鐸」は、弥生時代に祭祀の道具として使われた青銅製品で、全長63.3ミリ、最大幅35.8ミリ、重さ33.89グラムで、手のひらに載るほどの小さなもの。
「舌」は、全長33.2ミリ、最大幅24.0ミリ、最大厚16.0ミリ、重量13.80グラム。
制作年は3世紀。
この小銅鐸の内部から礫が見つかり、内部に収まる大きさから、「舌」(音を鳴らすために内部に吊るした「振り子」)であった可能性が高く、「附石製舌」として、併せて指定された。
弥生時代の銅鐸は、近畿地方・東海地方に分布する大きな銅鐸が一般的だが、関東地方では小銅鐸は見つかるものの、大きな銅鐸の出土はない。
弥生時代に大きな銅鐸が使われなかった関東地方が近畿・東海地方とどのような関係を持ちながら古墳時代を迎えたのかを考えるうえで、大変貴重な資料として注目されてる。
所有者は木更津市。
現在、小銅鐸は木更津市郷土博物館「金のすず」で展示されている。
中越遺跡の発掘調査は、東関東自動車道(千葉~富津線)の建設に伴い、平成6年1月~同ねん5月にかけて、財団法人千葉県文化財センターにより行われた。
小銅鐸はこれまで全国で50点以上が出土しており、千葉県内では市原市5点、袖ケ浦市2点、君津市1点の計8点が出土、木更津市出土は9点目。

なおこの小銅鐸は、今年9月から12月まで都内で開催される特別展に貸し出される予定でその間、金のすずでは展示されない。
詳細は木更津市教育部文化課TEL0438-23-5314。

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2016年5月 1日 (日)

全国で最も新しい絵付き銅鐸片が出土、高松市天満・宮西遺跡

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高松市は、同市松縄町で弥生時代後期のものとみられる銅鐸(どうたく)の一部が見つかったと28日に発表した。表面に絵が描かれている銅鐸としては、全国で最も新しいものと考えられるという。29日から5月15日まで市歴史資料館(同市昭和町1丁目)で一般に公開する。


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高松市で見つかった破片は高さ49・5センチ、幅34・5センチ、厚さ4ミリで重さは4・1キログラム。銅鐸の最下部の破片で、元は高さ1メートルを超える大型の銅鐸だったと推測される。表面の模様などから、「突線鈕(とっせんちゅう)5Ⅱ式」と呼ばれる最も新しい種類の型式で、弥生後期に当たる約1800年前につくられたとみられる。


朝日新聞 2016/4/29

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天満・宮西遺跡 .動物の絵が描かれた銅鐸片発掘 弥生後期 /香川

 
弥生時代前期から古墳時代前期にかけての集落遺跡「天満・宮西遺跡」(高松市松縄町)で、動物の絵が描かれた銅鐸(どうたく)の破片が見つかった。弥生後期(2世紀)の銅鐸とみられ、絵が描かれた銅鐸の中では全国的にも最も新しい時期という。

市文化財課によると、銅鐸は弥生時代の終わりまでの約500年間、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る祭器として使われた。青銅製で近畿地方を中心に全国で約500個出土し、県内でも20個確認されている。古い型は小型のベルとしての機能があったが、次第に大型化した。

今回の銅鐸片は建設工事に伴い、3月23日に実施した発掘調査で見つかった。下部の破片とみられ、高さ約50センチ、幅約35センチ、重さ約4・1キロ。約10センチ四方に鳥か鹿のような動物の絵が描かれている。銅鐸の高さは1メートル以上と推測され、観賞用に使われた「突線鈕(とっせんちゅう)52式」と呼ばれる種類。同じ大型の銅鐸は全国で14個出土しているが、県内で見つかるのは初めて。

文化財課は「割って捨てられたとみられ、銅鐸の祭りを放棄したか、銅の素材として再利用するために搬入された可能性もある。今後の研究に重要な資料」としている。

銅鐸片は高松市歴史資料館(同市昭和町1)で15日まで一般公開中(9日は休館)。無料。

毎日新聞2016年5月3日 地方版



4高松市の友人Gさんからの情報で知った。資料館のHP見ると試掘調査で発見されたということなので、周辺にまだ他の破片が埋まっている可能性もあり、楽しみ!!
拡大画像見ると、下部横帯の鋸歯文がRとLの複合鋸歯文になっていてビックリ~徳島の矢野銅鐸も同じ鋸歯文のタイプだが、こちらはIV-5式なので、これよりも新しい型式ということになる…四国で最も新しい銅鐸になるのかもしれない。
絵画については鹿には見えない…水鳥のように見えるがいかがだろうか?銅鐸の鳥については以前ブログに少し詳しく書いたことがある

毎日新聞の方が写真が鮮明だったのでUPしました。2016/5/9
それにしてもV-2式は全国で14例とは…最後の型式だからかなり少ないんだと改めて認識。

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2016年2月 7日 (日)

淡路島の松帆銅鐸、江戸時代出土の銅鐸と同じ鋳型

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兵庫県南あわじ市(淡路島)で昨年見つかった弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)の「松帆(まつほ)銅鐸(どうたく)」7個のうちの2個と、江戸時代に近くで出土した銅鐸1個の計3個が、同じ鋳型で作られた「同笵(どうはん)」であることがわかった。これらの銅鐸の製作地や埋めた人々について探る手がかりになりそうだ。

調査している奈良文化財研究所の難波洋三・埋蔵文化財センター長が7日、市で開かれた松帆銅鐸に関するシンポジウムで明らかにした。

松帆銅鐸は昨年4月、石材セメント製造会社の砂置き場で見つかり、うち6個は大小の銅鐸が「入れ子」状態になっていた。その後の調査で、音を鳴らすための「舌(ぜつ)(振り子)」が入っていることや、つり下げるための植物繊維製とみられるひもが残っていることが、いずれも全国で初めて確認された。7個は過去4番目の大量出土数。

朝日新聞 2016年2月7日

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江戸時代に近くで出土した銅鐸1個=日光寺銅鐸中の御堂出土地

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2016年1月 7日 (木)

淡路島・松帆銅鐸.2個の内部から「ひも付きの舌」確認

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兵庫県教委と南あわじ市教委、奈良文化財研究所(奈文研)は7日、昨年4月に同市で見つかった松帆銅鐸(まつほどうたく)7個のうち、未調査だった2個の内部から、棒状の舌(ぜつ)がひもの一部が付着した状態で見つかったと発表した。他の2個の舌でも既にひもが確認されており、奈文研は「4個そろってひも付きの舌があったことで、銅鐸は音を鳴らす祭器という説が決定付けられた」としている。

松帆銅鐸のうち6個は大小3組の銅鐸を「入れ子」にして埋められていた。単独だった1個と、入れ子状態を現場で分離させた2個にはそれぞれ舌があったが、ひもは確認されていなかった。今回調査した2個は高さ31.8センチの銅鐸の内側に同21.3センチの銅鐸が入れられた状態で、奈文研が中に詰まった砂を除いて調査。外側の銅鐸内に長さ13.8センチ、内側の銅鐸に同7.8センチの舌があり、それぞれの舌の穴には、銅鐸内側に舌をつるすためとみられる太さ4?8ミリと同3ミリの植物繊維のひもの一部が残っていた。

銅鐸と舌が一緒に見つかる例は極めて少なく、音を鳴らす用途には異論もあったが、難波洋三・奈文研埋蔵文化財センター長は「銅鐸を埋める際に舌を外すことが一般的だったのでは」としている。

南あわじ市教委は2月9?21日、同市松帆西路の市滝川記念美術館「玉青館」で今回調査した銅鐸などを展示する。問い合わせは市埋蔵文化財調査事務所(0799・42・3849)。

毎日新聞 2016年1月7日

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兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)の「松帆銅鐸(まつほどうたく)」7個のうち、大小が二重の「入れ子」状態になった1組2個から新たに、植物繊維製とみられるひもの一部が見つかった。県教育委員会などが7日発表した。全国初のひもの確認例となった別の1組に続くもので、7個すべてが、音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ、振り子)をひもでつり下げた状態で埋められた可能性が強まった。

銅鐸、つり下げて使用か? ひもの一部を初確認

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7個のうち、「入れ子」状態で内部に砂が詰まった2組計4個について、奈良文化財研究所(奈良市)が取り外し作業を進めてきた。昨年、1組(高さ約32センチと約22センチ)の鈕(ちゅう、釣り手)や舌にひもの一部や痕跡を確認。今回、残る1組(同約32センチと約21センチ)の2本の舌の穴にもひも(太さ3~8ミリ)が残っていた。

銅鐸は昨年4月、南あわじ市の会社の砂置き場で発見された。県教委は昨年11月、砂が採取された沿岸部で地中レーダーによる調査を始めたが、銅鐸の埋納場所は特定できていないという。今後、銅鐸内部の砂に混じっていた植物の葉の年代測定などを進める方針。

今回の銅鐸2個などは2月7日に南あわじ市中央公民館で開かれるシンポジウムで初公開され、9~21日に同市滝川記念美術館玉青館で展示される。

朝日 2016年1月7日

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2015年8月14日 (金)

銅鐸、つり下げて使用か? ひもの一部を初確認 淡路島

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兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)の「松帆(まつほ)銅鐸(どうたく)」の内部から、植物の繊維製とみられるひもの一部が確認された。県教育委員会などが発表した。銅鐸を木の枝などにつり下げたり、音を鳴らすための青銅製の舌(ぜつ、振り子)を銅鐸上部に開いた穴などからつるしたりしたものとみられる。銅鐸のひもが見つかるのは全国初で、謎の多い銅鐸の使用法の解明や年代測定につながりそうだ。

淡路島で発見の銅鐸内部に「舌」4本 全国で初めて確認

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見つかった7個の銅鐸のうち、大小が二重の「入れ子」状態になって内部に砂が詰まった2組計4個について、奈良文化財研究所(奈文研)がCTスキャンで内部を透視しながら取り外し作業を進めている。1組2個(高さ約32センチと約23センチ)の砂を除去したところ、いずれの鈕(ちゅう、釣り手)にもひもの一部やひもを何条にも35


巻き付けた痕跡が見つかり、舌(長さ約13センチと約8センチ)先端の穴にひもの一部が通っていた。砂中に腐食したひもとみられる有機物もあった。銅イオンに抗菌作用があるため腐食しなかったらしい。

ひもは複数種あり、大きい銅鐸の鈕と舌の部分は植物繊維の束をより合わせた「よりひも」(太さ約2ミリ)、小さい銅鐸の舌は繊維を編んで作る「組みひも」(同約4ミリ)だった。

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また、両方の銅鐸内部にイネ科の植物のものとみられる葉が付着していた。埋める際に混入したらしい。

奈文研の難波(なんば)洋三・埋蔵文化財センター長は「銅鐸は直接手に持って揺り鳴らしたという説もあったが、何かにつり下げて鳴らしていたことがはっきりした」という。奈文研は今後、繊維の分析のほか、ひもや葉の一部の放射性炭素年代測定をして銅鐸の使用・埋納時期を調べる。もう1組も慎重に取り外す方針。

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兵庫県の弥生時代に詳しい森岡秀人・奈良県立橿原考古学研究所共同研究員は「舌を外し、鈕や(本体から張り出した装飾部分の)鰭(ひれ)を垂直にした姿勢で埋めるという銅鐸埋納の『不文律』から、松帆銅鐸は外れている。そうした不文律が徹底される前の最古の様相を示している可能性がより高まった」と指摘する。

銅鐸を研究している春成秀爾(はるなりひでじ)・国立歴史民俗博物館名誉教授は「銅鐸が作られた時期は鋳型などから推定されていたが、今回の発見で、ひもからは銅鐸が使われた時期、植物の葉からは埋められた時期が放射性炭素年代測定で絞り込めるのでは」と期待する。

最古級のものを含む3個の実物、入れ子状の2組のCTスキャン画像やひもなどの写真パネルが16日まで、南あわじ市の滝川記念美術館で展示されている。無料。(編集委員・今井邦彦、赤井陽介)

     ◇

〈松帆銅鐸〉 高さ約21~32センチ、重さ約1~2キロ(一部は不明)の青銅製。4月に石材セメント製造会社の砂置き場で見つかった。元々埋納されていた沿岸部から運ばれたとみられる。鈕の分類によると、1個は全国で約530個確認されている銅鐸のうち11個しか見つかっていない「菱環(りょうかん)鈕式」(弥生前期)で、6個は「外縁付(がいえんつき)鈕式」(弥生中期)。7個は、島根県・加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県・大岩山(24個)、神戸市・桜ケ丘遺跡(14個)に次ぐ過去4番目の大量出土数。舌が入った状態で銅鐸が確認されたのは全国で初めて。

朝日2015年8月14日

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2015年8月12日 (水)

植物繊維ひも初発見 本体と音を鳴らす舌を結んだか 具体的使い方わかる

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兵庫県南あわじ市で見つかった弥生時代中期の銅鐸(どうたく)7個のうち、大きい銅鐸に小さい銅鐸をはめ込んだ「入れ子」の銅鐸1組2個を取り外して調査した結果、大小の銅鐸のつり手にあたる「鈕(ちゅう)」と、内部につり下げて打ち鳴らす棒「舌(ぜつ)」にひもやその跡が残っていることが分かり、県教委などが12日、発表した。銅鐸や舌からひも自体が見つかったのは初めて。

調査を行った奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの難波洋三センター長は「銅鐸の鳴らし方など具体的な使い方を知る上で貴重な発見」と話している。

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同研究所が7月に調査を実施した。内部の砂を除去した上で入れ子状態の銅鐸を取り外して調べた結果、大きい銅鐸の鈕に、植物性繊維でよられた直径約2ミリのひもと、ひもの繊維片を確認した。

それぞれ左右逆の方向によられていることから、複数のひもが巻き付けられていたとみられる。小さい銅鐸にもひもの跡が残っていた。

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また、大きい銅鐸の舌の穴には直径約5ミリのひもが通され、銅鐸と結ばれて固定されていた。小さい銅鐸の舌からも直径約4ミリのひもが穴に通った状態で見つかった。

青銅製の銅鐸から防腐作用を持つ銅イオンが溶け出し、ひもの腐食を防いだことが今回の発見につながったと考えられるという。

銅鐸内部からはススキなどとみられる植物の葉も見つかった。難波センター長は「放射性炭素年代測定を行い、ひもや植物の年代を突き止めることで、銅鐸を埋めた時期をめぐる謎が解決する可能性がある」としている。

同研究所では、入れ子状態で出土したもう一組の銅鐸についても作業を検討する。

今回の発見を受け、出土した銅鐸を展示中の南あわじ市の滝川記念美術館「玉青館」では、16日までひもの写真パネルを追加展示する。問い合わせは同館((電)0799・36・2314)。

産経WEST 2015.8.12

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2015年6月26日 (金)

銅鐸内に「舌」4本発見 CTで収納状態初確認 南あわじ「松帆銅鐸」

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兵庫県南あわじ市で出土した弥生時代前期末~中期前半の「松帆銅鐸」7個のうち、大型に小型をはめ込んだ「入れ子」状態にある2組4個から、音を鳴らす振り子「舌」4本が見つかった、と兵庫県教育委員会などが26日、発表した。奈良文化財研究所(奈良市)でのコンピューター断層撮影(CT)スキャンで判明。舌を銅鐸内に納めた状態も初めて分かった。謎が多い銅鐸の使い方などを解明する極めて貴重な資料になる。

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松帆銅鐸は、今年4月に玉砂利製造販売会社の加工場や砂置き場で発見され、内部に砂が詰まったまま回収した2組4個をCTで調べた。既に発見された舌3本を合わせ、7個全てに舌があったことになる。

1b_08155964新たに見つかった舌は、それぞれセットとなる銅鐸内にあり、同研究所の難波洋三・埋蔵文化財センター長は「舌をひもで取り付けた使用状態のまま、入れ子にして埋めた可能性が高い」と推測する。舌は青銅製とみられ、打ち鳴らしたことによる摩滅も確認できた。

【舌(ぜつ)】祭器である銅鐸内につり下げられた青銅製の棒で、開口部付近の環状突起(突帯)に当たることで音を鳴らす。青銅のやじりの転用や石製のものもある。国内の出土例は少なく、青銅製は約10個。大型で飾り立てた弥生後期の銅鐸には、突帯の摩滅がなく、舌がなかったと推測されるものもある。

写真上:コンピューター断層撮影を実施した銅鐸2組の3次元画像。入れ子の外側と内側の銅鐸内に棒状の舌(彩色部分)がある(奈良文化財研究所提供)

写真中:CTスキャン分析を受けた松帆銅鐸の3・4号銅鐸(左)と6・7号銅鐸(右)

写真下:松帆銅鐸の3・4号銅鐸(左)と6・7号銅鐸(右)の入れ子状態


神戸新聞 2015/6/26

動画もあり。

舌が舞の近くにある件については、動画で難波さんが説明している。可能性としては、入れ子にした時に舌を奥に押し込んだことなどが想定されるそうだ。確かにこの位置では内面突帯に当たらず、キレイな音は出ない。

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2015年5月19日 (火)

淡路島で銅鐸7個「数十年に一度の大発見」 土砂選別作業がきっかけ

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兵庫県南あわじ市の玉砂利製造会社の砂山から、祭祀(さいし)などに使われたとされる銅鐸(どうたく)が7個見つかり19日、県教委が発表した。紀元前3~2世紀(弥生時代前期末~中期初頭)に鋳造された古式の銅鐸で、多数確認例では加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個、大岩山遺跡(滋賀県野洲市)の24個、桜ケ丘遺跡(神戸市)の14個に次ぐ4番目。専門家は「数十年に一度の大発見」としており、謎の多い初期銅鐸を解明する史料になりそうだ。

銅鐸7個の大きさは高さ31・8~22・4センチ。底幅18・5~12・8センチ。3組6個は加茂岩倉遺跡と同様に、大きな銅鐸に小さな銅鐸を入れ込む「入れ子」の状態で、埋納状態を復元する手がかりになるという。また、1個は菱環鈕(りょうかんちゅう)式と呼ばれる最古型式で、11例しか確認されていない。残る6個は外縁付(がいえんつき)鈕式という2番目に古いタイプだった。

3個からは、銅鐸の内側に取り付け、打ち鳴らすための「舌(ぜつ)」と呼ばれる青銅製の棒(長さ約13~8センチ)も3本確認された。青銅の舌が銅鐸と同時に見つかったのは珍しい。舌は摩滅しており、実際に鳴らされたことを裏付けている。

今後、奈良文化財研究所で型式や模様などを詳しく調べる。

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銅鐸は4月、玉砂利製造会社の砂山から見つかった。土砂は同市西部の松帆(まつほ)地区を中心に約10年前から集められていたというが、正確な出土地は不明。7個は松帆銅鐸と名付けられた。県教委は今後、銅鐸の公開も検討する。

銅鐸研究の第一人者、難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長の話「数十年に一度の大発見。古式の銅鐸である上、『舌』を伴っているのも珍しく興味深い。埋納の際、鳴らす機能を奪うため舌を外すと考えていたが、淡路は例外だったようだ」

産経WEST 2015.5.19

NHKの夕方のニュース見ていて知ったが、淡路からというのを聞いてそれほどの驚きはなかった。出土地周辺からは以前から青銅器の出土が多く、江戸時代の中御堂の銅鐸(8個出土ともいわれる)や古津呂の銅剣出土(14本)など前から注目していた地域だったからだ。

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