1最新情報

2009年8月18日 (火)

福岡市・那珂遺跡で巴形銅器の鋳型出土!

Bお盆で帰省していたら、TVのニュースで福岡市の那珂遺跡で巴形銅器の鋳型が見つかったと報道していた。巴形銅器の鋳型は、昨年九大春日キャンパスの発掘でも見つかっていたので、また見つかったのかと思ったが-次の瞬間-TVの画面に釘付けになってしまった!!

今回の巴形銅器には脚部分に綾杉文が施されている!それに直径15cmとえらく大きい!(写真1)

次に脳裏に浮かんだのは青柳種信の「井原鑓溝出土の巴形銅器」の図(写真2)-拓本とスケッチが残っているが、中心の丸い部分が大きく、脚がやたらと多い(通常は4~7本)…似ていると感じた。

Photo福岡市埋文センターで速報展(今月30日まで)をやっているという話なので、ともかく見に行かなければと16日に見てきた。巴形銅器の鋳型としては吉野ヶ里、九大春日キャンパスに次いで3例目。巴形銅器はこれまで全国で大小36点見つかっているが、その中では最大級。やはり井原鑓溝遺跡(弥生後期)出土のものとの類似が注目されていた。

Photo_2また鋳型の裏面は銅戈の鋳型として使われている(巴形銅器の方は黒く変色した痕もなく実際は鋳造されていないのかもしれない)。鋳型は巴形銅器の裏面に当たり、脚の綾杉文の稜線がかなり盛り上がっている。巴形銅器の脚の裏面には稜線がある場合がある。巴形銅器はスイジ貝を模したとみられており、裏面の稜線はスイジ貝の脚の割れ目(写真3下)、綾杉文はスイジ貝表面の文様に通じるものがある(写真3上)。なおスイジ貝は沖縄で魔除けとして今でも使われている。

奴国と伊都国の関係は、これまで後漢から金印をもらった奴国(AD57年)から、2世紀初頃に伊都国への政権移動が云々されてきたが、両国は意外と親密な関係だったのかもしれない-例えば奴国が「生産・交易」、伊都国が「外交・接待(饗讌)」を分担するように-と、「ツクシ政権」内での諸国の関係の見直しを迫る発見と思われる。


奴国の拠点・那珂遺跡群 巴形銅器の鋳型出土 伊都国王墓副葬品に類似
西日本新聞(09/08/14)

福岡市教委は、古代中国の史書「魏志倭人伝」に記された奴国(なこく)の拠点と言われる那珂遺跡群の一部(博多区竹下5丁目)から、弥生時代後期(紀元前後-200年ごろ)のものと推定される石製の巴形(ともえがた)銅器鋳型が出土した、と発表した。吉野ケ里遺跡(佐賀県)、九州大春日キャンパス内遺跡に次いで、全国3例目。
出土した鋳型が、伊都国王墓の一つと考えられる井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡(前原市)から出土した銅器と極めて似ていることから、市教委は「奴国で製造された銅器が、伊都国王墓に副葬された可能性が高く、貴重な発見」としている。
市教委によると、出土したのは、青銅を流し込み、冷やして固める巴形銅器鋳型の一部で、大小二つの石片。7月に見つかり、大きい石片の最大幅が10.8センチで、鋳型全体は復元すれば、縦18.5センチ、横17センチ以上、厚さ6.5センチだったと推定される。
青銅を流し込む溝に、綾杉文と呼ばれる羽状の文様が掘られていることや、製造されたヒトデ形の銅器が、直径15センチ前後の大型だったとみられる点が特徴。巴形銅器は、弥生後期-古墳前期、装飾具や権威の象徴として用いられたとされる。
綾杉文や大きさが、井原鑓溝遺跡から江戸時代に出土した資料が残る巴形銅器の記録と非常に似ており、市教委は「奴国と伊都国の関係を考えるうえで、興味深い」としている。鋳型は14-30日、市埋蔵文化財センター(博多区井相田2丁目)で速報展示する。

那珂遺跡出土の巴形銅器鋳型速報展示

会場 福岡市埋蔵文化財センター
    福岡市博多区井相田2丁目 1-94  電話092-571-2921

展示期間 平成21年8月14日(金曜日)~8月30日(日曜日)
開館時間 9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日  毎週月曜日  入場無料

発表資料「全国3例目の巴形銅器の鋳型を発見」(PDF)

読売新聞(08/8/13)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月27日 (木)

松江市の西川津遺跡で銅鐸片出土

08ブログの更新をさぼっていたら、先月の22日に松江市の西川津遺跡で銅鐸片が出土していた(写真1)。おまけに地元では「砕かれた銅鐸」という速報展まで開催されていた(10/25-11/10八雲立つ風土記の丘資料館 , 11/12-30島根県立古代出雲歴史博物館)。11/3の野洲市銅鐸博物館でのシンポジウムでは、松本岩雄さん(古代出雲歴博)はこの西川津の銅鐸片については全く触れられなかった(何故だろう?)

97最近は集落跡の発掘などで銅鐸片-破砕銅鐸が出土することは珍しくはない。しかし今回の銅鐸片は外縁付鈕式~扁平鈕式古段階のものらしい。西川津遺跡は松江市街の北にある出雲東部では拠点となる弥生集落。西川津では97年にも流水文銅鐸の身上半部の銅鐸片が出土している(写真2)。今回の出土地点は前回出土地点から25mしか離れておらず(地図)、同一個体の可能性もあるらしい…鉛同位体比を照合すれば判明するだろう。

出土地点は朝酌川の河川敷。河川改修に伴う発掘調査で、銅鐸片は古墳時代中期(5世紀頃)の河川堆積層から出土したというから、銅鐸が破壊され埋没した年代は正確にはわからない。前回の銅鐸片は弥生前期~古墳時代初頭の土器と共伴しているから、これらの銅鐸が弥生時代の西川津遺跡と関係があることは間違いないだろう。

Photo「マツリで壊されたか、再利用か…」などと新聞記事には書かれているが、問題は破砕銅鐸として非常に古い段階の銅鐸であることだろう。破砕銅鐸の事例は現在30例ほどが知られているが、ほとんどが弥生後期の突線鈕式鐸の破片で、扁平鈕式鐸の事例が大阪の亀井遺跡や香川の森広遺跡、旧練兵場遺跡で見つかっているだけ。

外縁付鈕式~扁平鈕式の流水文銅鐸というと、出雲ではあの加茂岩倉遺跡に大量に埋納されていた型式であり、西川津の銅鐸片は出雲への銅鐸の搬入時期が銅鐸の示す年代(=製作年代)よりも意外と新しい可能性を暗示しているのかもしれない。そして出雲東部と西部での銅鐸祭祀終焉の様相が相違していた状況など、いろいろと考えさせられる点も多く興味深い。

西川津遺跡出土の銅鐸片について
(報道発表資料)
平成20年10月22日 島根県埋蔵文化財調査センター
 
1.遺跡名:西川津(にしかわつ)遺跡 
2.所在地:松江市西川津町
3.調査主体:島根県教育委員会(埋蔵文化財調査センター)
4.調査の経緯:県道松江島根線建設に伴い、島根県土木部道路建設課から委託を受け、平成19年度から埋蔵文化財調査を実施している。西川津遺跡の総面積は約200,000平方メートル、今年度の調査対象面積は約250平方メートルである。
5.調査概要:西川津遺跡は、松江市北東部を流れる朝酌川に沿って位置している。西川津遺跡ではこれまでに河川改修工事に伴って1977年から2001年にかけて発掘調査が行われており、掘立柱建物跡、弥生土器、石器、木製品などが出土している。島根県における弥生時代における集落遺跡の中心的な遺跡の一つである。 銅鐸片は古墳時代中期(5世紀頃)の河川堆積層から出土した。
6.銅鐸片について:今回出土した銅鐸片は、縦3.0㎝、横5.0㎝、厚さ0.1㎝、重さ9.0gである。鋸歯文と下辺横帯が認められるので、銅鐸の下部と考えられる。全体に鋳上がりが不良で、長い間にすりへっており「す」が入ったような小さな孔が内外面に多く認められる。紋様の状態から、Ⅱ-Ⅲ式(外縁鈕式-扁平鈕式:銅鐸を四段階に分けたうちの二-三番目)の銅鐸(弥生時代中期に製作)で、復元し高さは40cm前後と考えられる。なお、横断面が不自然に湾曲しているので、人為的な力が加わった可能性もある。
7.意義:
(1)今回の発見により県内出土銅鐸は57個目、出雲部では53個目となった。なお、西川津遺跡では平成9年に流水文銅鐸の破片が出土しており、同一の遺跡で複数の破片が出土したことになる。
(2)銅鐸の出土例として、神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡のように完全な形で埋納する例と、今回の出土例や出雲市青木遺跡のように、破片の形で出土する例があり、銅鐸研究を進める上で良好な資料となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月16日 (火)

柳沢遺跡で新たに銅鐸3個見つかる!!

昨年から話題になっている柳沢遺跡で、重機で掘って埋納坑を破壊した際に混じった青銅器片がないか掘りあげた土砂をフルイにかけて探していたが、やはりあった!-それも銅鐸が新たに3個も…
今度は外縁付紐2式だということだが、どんな文様の銅鐸か楽しみである。長野県埋文センターのHPによると、9/20~21に現地説明会が行われ、銅鐸も公開されるらしい。

柳沢遺跡の銅鐸計4個に 弥生のクニ、原型裏付け 
下野新聞(08/9/12
Photo長野県埋蔵文化財センターは12日、昨年に東日本で初めて弥生時代の青銅器「銅鐸」と「銅戈」が一緒に出土した柳沢遺跡(同県中野市)で、新たに弥生中期ごろの銅鐸の破片が出土し、最低でも3個分あることが分かったと発表した。
同遺跡で出土した銅鐸は合計で少なくとも4個になった。奈良文化財研究所の難波洋三考古第1研究室長は「銅鐸が4個以上出土した遺跡は全国で10例もなく驚きだ」と話している。
柳沢遺跡では昨年、祭器として使われた銅鐸と銅戈7本(大阪湾型6本、九州型1本)が同時出土。東日本の長野に、弥生時代のクニの原型になる有力な集団が存在していたことを示す発見として注目を集めた。
大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長(考古学)は「考えていたよりも、さらに強力な集団がいたことを意味付ける成果だ」と指摘している。
※写真=柳沢遺跡で新たに出土した銅鐸の破片


銅戈と同時出土の中野市の柳沢遺跡から新たに銅鐸片3個
信濃毎日新聞(08/9/13
2県埋蔵文化財センター(長野市)は12日、昨年に東日本で初めて弥生時代中期の祭器「銅戈(どうか)」と「銅鐸(どうたく)」が一緒に出土した中野市の柳沢遺跡で、新たに銅鐸の破片18点が見つかったと発表した。うち3点は昨年出土した銅鐸の一部。ほかの破片でさらに3個分になるという。同遺跡調査指導委員会の笹沢浩委員長によると、同じ遺跡から複数の銅戈と銅鐸が見つかったのは、神戸市の桜ケ丘遺跡に次いで全国で2例目。
15点の破片は、銅鐸の「紐(ちゅう)」と呼ばれる上部や、すそに当たる部分などで、長さは数センチから10センチ程度。近畿地方を中心に出土している僧侶の袈裟(けさ)に似た形の文様「袈裟襷文(だすきもん)」を確認できる破片もあり、これらは比較的古い型の「外縁付紐(がいえんつきちゅう)2式」の一部とみられ、近畿でつくられた可能性が高いという。

昨年見つかった銅鐸は流水文があり、さらに古い「外縁付紐1式」。異なる時代の銅鐸が存在していたことになり、同遺跡調査指導委員会委員の難波洋三・奈良文化財研究所考古第一研究室長は「この地域は長い間にわたって、近畿地方と濃密なつながりがあったみられる」と指摘した。
同センターは、排水路を設けるため昨年度に重機で掘った土の中に、ほかの青銅器が含まれている可能性があるとみて調べていた。20、21日のともに午前10時から現地説明会を開く。
※写真=昨年見つかった銅鐸片(左)の一部と見られる今年見つかった破片(右の3点)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 1日 (火)

銅鐸作りイベント「輝く銅鐸を作ろう」

Photo古代出雲歴博で来月「銅鐸作りイベント」があることを知った。
最近は銅剣作り(弥生博、兵庫県考古博)や銅鏡作り(西都原考古博、岐阜市歴博)など鋳造体験のイベントが各地の博物館などで開催されるようになってきたと思っていたら、とうとう銅鐸まで!
中が中空な銅鐸は難しそうだが、うまくできるだろうか…

第45回文化財講座 いにしえ倶楽部 「輝く銅鐸を作ろう」
日時:平成20年7月20日(日) 13:00~16:30
会場:島根県立古代出雲歴史博物館 体験工房
募集定員: 40名(※先着順 定員になり次第締め切ります)
参加費: 500円(銅鐸作りの材料を当日購入していただきます)
内容:
・講座 古代の鋳造技術について解説します。
・体験 融点の低い合金を素材に、
  石膏の鋳型を用いて手のひらサイズの「銅鐸」を鋳造体験します。
  完成品は記念にお持ち帰りできます。
申し込み締め切り:7月15日(火)

問い合わせ先・申し込み先:
島根県埋蔵文化財調査センター
企画調整スタッフ 「いにしえ倶楽部」担当者宛
〒690-0131 松江市打出町33番地
電話 0852-36-8608
FAX 0852-36-8025

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月20日 (火)

大福遺跡の破砕銅鐸

Photo昨年暮れに奈良県桜井市脇本遺跡で銅鐸片が出土し「リサイクル工房か?」とニュースとなったが、今度はすぐ近くの大福遺跡でも「銅鐸片」が鋳型やフイゴなど鋳造関連遺物と共伴した。旅行していてニュースを知ったのは連休明けのこと、ちょっと遅くなったがやはりブログで取り上げないわけにはいかない話題である。
「銅鐸リサイクル」の跡、国内2例目 奈良で破片や鋳型(2008/4/30 朝日新聞)
銅鐸片出土、リサイクル用に壊す? 奈良・大福遺跡で見つかる(2008/4/30 産経新聞)

今回の調査区では、弥生時代中期中頃の方形周溝墓群の間に弥生時代後期(1世紀後半~2世紀中ごろ)の溝が4本あり、そのうち1本からは、溝が埋没した後に掘られた深さ3mほどの土坑が2ヶ所あった。銅鐸片が見つかったのはこの土坑からで、銅鐸片は5.9cm×4.6cm、厚さ2mm程。銅鐸の鐸身部分の一部で、壊されたときについたような歪みがあるという。同じ土坑から、炉に差し込む送風管の一部、鋳型外枠片2個も出土していることから、銅鐸片を別の青銅製品に再利用していた可能性があるとみられている。

今回の銅鐸片で重要なポイントは4点。
・一つ目は破砕銅鐸の事例の少なかった奈良県で纒向、脇本に続いて見つかったこと。
・しかも、青銅器鋳造関連の遺物と伴出したこと。
・三つ目は埋められた年代がわかる事例であること。
・そして四つ目は大福遺跡からは埋納された銅鐸が見つかっていること。
特に大福遺跡では、完形銅鐸の埋納年代と銅鐸片の埋没年代が弥生後期後半とほぼ一致している点が興味深い。

銅鐸片の写真を見たが、今回も脇本遺跡同様、5cm角に割られた形状。このような形の破片を“久田谷型”とでも呼びたいが、原材料として再利用しやすいように、小さなスラブ・ビレット状にされたのだろう。突線が2本みえるがこれだけでは後期の銅鐸であることがわかるだけで詳しい型式までは判別できない。ただし突線の幅などから考えると、中型クラスの銅鐸ではないので-近畿式の新段階(突線鈕4・5式)とみられる。

Photo_2完形銅鐸の方は1985年に大福小学校建設予定地の発掘現場から出土した。こちらも方形周溝墓(2号墓)の溝底近くに銅鐸埋納坑が掘られていた(図版)。遺構の切り合い関係から方形周溝墓は弥生時代後期よりも新しい時代に造られており、銅鐸の埋められた時期の上限は弥生時代後期となる(もう少し絞り込むと2号墓周溝の出土土器から弥生時代後期中頃~終わり頃以降)。2号墓に隣接する1号墓の周溝からは古墳時代前期初め頃の土器が出ているので、弥生時代後期の終わり頃~古墳時代前期初め頃にかけて、2号墓→銅鐸埋納坑→1号墓の順になるという。

完形銅鐸は以前のブログ(2007/10/03)でも紹介した通り、難波洋三氏によると、突線鈕1/2式の「大福型」と呼ばれる銅鐸で、製作時期は弥生時代中期末~後期初め。完形銅鐸は弥生時代後期後半まで使用されて方形周溝墓底に埋納、銅鐸片の方は弥生時代後期後半に作られ、比較的短期間で破壊され他の青銅器に改鋳されたらしい。

破砕銅鐸については、弥生時代の終わり(古墳時代の初め?)に銅鐸を奉ずる人々が征服され(もしくは宗教の一大変革が起こり)、埋納された銅鐸も含め強制的に回収、破壊され、銅鏡など新たな青銅器の原料として鋳つぶされたという説が書籍やネット上などあちこちで真しやかに語られている。このような“銅鐸の最期”は古くは原田大六氏や森秀人氏によって提唱されたもので、古代史ファンにとっては魅力的なストーリーなのだろう。
はたして真実はどのようなものだったのか…上記説の信奉者らは今回の大福遺跡における銅鐸片と完形銅鐸の埋納年代の一致をいかに解釈するのだろうか?

図版出典
萩原儀征1990「大福遺跡の出土銅鐸」『銅鐸講演会記録集(八尾市跡部銅鐸出土銅鐸特別公開記念)』(財)八尾市文化財調査研究会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

長野・柳沢遺跡-「九州型」「大阪湾型」銅戈、同時に出土

Photo昨年銅鐸と銅戈が見つかった長野県中野市の柳沢遺跡の新情報。7本の銅戈のうち、1本が北部九州を中心に分布する「九州型」と判明したと長野県埋蔵文化財センターが29日に発表した(朝日新聞/08/02/29)

残りの6本の銅戈は近畿地方を中心とする「大阪湾型」。九州型と大阪湾型が同時に見つかったのも初めて。九州型のは銅戈はひときわ大きく長さ約34cm。「綾杉文」と呼ばれる杉の葉のような文様がある。

新聞報道では「九州型の銅戈が中国地方より東で出土したのは初めて」となっているが、群馬県甘楽町三ツ俣遺跡からは古墳時代の遺構からだが、北部九州型銅戈が出ている。※岩永省三1997『金属器登場(歴史発掘7)』p.110(講談社)九州の武器形青銅器のなかでも銅戈が最も東方へ拡散しているし、大阪湾型のルーツも九州型だろうから、長野で出てもおかしくないが…それにしても何が出てくるかわからない。

写真には銅鐸も写っている。どうも鈕のところが残り、鐸身の下半分は失われているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月22日 (金)

企画展「銅鐸を復元する」

徳島県立博物館で下記のような企画展開催中

「銅鐸を復元する」
銅鐸は、今から2000年も前の弥生時代につくられた青銅1器の一つです。1000℃を超える高温を維持して材料を溶かし、現代でも決して容易ではない高い技術でつくられた謎の遺物、それが銅鐸です。
銅鐸復元製作の第一人者である小泉武寛氏(京都府在住)による銅鐸の復元製作関連資料を紹介します。

会 期:平成20年2月5日(火)~3月30日(日)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
会 場:徳島県立博物館 2階 常設展示室 ラプラタ記念ホール内

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

國學院大フォーラム「祭祀遺跡に見るモノと心」、歴博講演会「日本の銅鐸と北米の銅板」

青銅器・銅鐸関係の講演会が下記の通り開催される。
特に歴博の春成さんの講演会は、最近注目されている北米インディアンの“ポトラッチ”と銅鐸祭祀の比較…かなり面白そうだ!!

研究プロジェクト平成19年度フォーラム「祭祀遺跡に見るモノと心」 
【研究発表】
「弥生青銅器祭祀の起源と遼寧青銅器文化」
小林青樹(國學院栃木短期大学・准教授)
他多数報告あり
2008年3月1日(土)10:30~15:35
國學院大學渋谷キャンパス120周年記念1号館4階1402教室

歴博講演会 第291回「日本の銅鐸と北米の銅板」
講師:春成秀爾(考古研究系教授)
2008年3月8日(土)13:30~15:30
国立歴史民俗博物館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月23日 (水)

柳沢遺跡の銅戈・銅鐸いよいよ一般公開

昨年秋、話題となった柳沢遺跡の銅戈・銅鐸が下記速報展でいよいよ公開される!!

長野県埋蔵文化財センター速報展「長野県の遺跡発掘2008
期日:平成20年3月15日(土)から5月11日(日)まで
場所:長野県立歴史館 2階 企画展示室
問い合わせ先:長野県埋蔵文化財センター 026-293-5926

公開に先立ち長野県中野市で
地域史講演会「柳沢遺跡調査速報-銅戈(どうか)の発見された遺跡」が開催
日時:平成20年2月9日(土)午後1時30分から3時まで
場所:中野市市民会館 41号会議室
問い合わせ先:中野市歴史民俗資料館 0269-22-2005

また3月には「柳沢遺跡シンポ」も開催されます。
長野県立歴史館 特別考古学講座・シンポジウム「柳沢遺跡を語る」
日時:平成20年3月15日(土) 午後12時30分から4時まで
問い合わせ先:長野県立歴史館 026-274-2000

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月16日 (水)

「浜松市の銅鐸」展

S

企画展「浜松市の銅鐸」が1/13~始まっていた。

会期:2008年1月13日(日)~4月6日(日)
会場:姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(静岡県浜松市北区細江町)
Tel:053-523-1456
開場時間:午前9時~午後5時 月曜休み

奈良国立博物館所蔵で浜松市北区三ケ日町で出土した「釣荒神山2号銅鐸」(写真)も里帰りしている。
20数点も一堂に展示されてるとなると…一日じゃ見きれないなぁ

| | コメント (0) | トラックバック (0)