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2009年5月12日 (火)

銅鐸コイン-地方自治法施行60周年記念500円貨幣

1_2先日、「銅鐸コイン」がようやく届いた。

地方自治法施行60周年を記念した、地方自治法施行60周年記念5百円記念貨幣で、昨夏、古代出雲歴博に行った時、年末に発行されることを知って、造幣局に申し込んだのだが、振込用紙が届くのに2ヶ月、すぐ振り込んだのに商品が届くまで、またまた2ヶ月という超お役所仕事で、忘れた頃に到着となった。

2樹脂製のカードに収まっているので、直接触ることはできないが、保管しておくには汚れないしいいかもしれない。銅鐸の横には加茂岩倉銅鐸23号に鋳出された鹿と猪?(四足動物)の絵がいっしょに表されている。ちなみに中央の銅鐸は35号らしい。

コインショップでは高額の値が付けられているが本当だろうか?

調べてみると、銅鐸の切手も発行されているらしいので、機会あればまた紹介したい。

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2007年12月11日 (火)

日本最大の四隅突出型墳丘墓-西谷9号墓

3_312/2早朝、松江を出て出雲市へ向かった。まだ見たことがなかった西谷墳墓群を訪れるためだ。西谷墳墓群というのは、斐伊川左岸の丘陵上に造られた四隅突出型墳丘墓と呼ばれる弥生時代後期の首長墓。なかでも島根大によって発掘調査された西谷3号墓(写真1)は一辺40mで、朱で真っ赤になった主体部からはコバルトブルーのガラス製の巴型勾玉(写真2)など珍しい遺物が出土(※あの有名な丹後の大風呂南1号のガラス釧と同じ材質!)2世紀末のイツモ国の王墓と推定されている。

Imgview_4以前、安来市の仲仙寺墳墓群を見たことがあったので四隅突出型墳丘墓というと、あまり大きくないという印象が強かった。しかし西谷3号墓を見てその大きさに正直驚いた。また3号墓などが整備された「出雲弥生の森」から少し東へ伸びた丘陵先端の西谷9号墓(3世紀前半/平面図)は3号墳の規模を上回る日本最大の四隅突出型墳丘墓だという(42×35m, H4.5m,ヒトデのような突出部を含めると一辺60mを越す)。残念ながら9号墓は1960年頃の三谷神社建設で墳頂部が削平されいるが、神門平野を見下ろす威容は“大方墳”といってもいい。

9_3出雲歴博の展示によると、3世紀末~4世紀代-古墳時代に入ると、出雲東部-安来市荒島方面の古墳群が大きくなりはじめるらしい。大成古墳や造山1号墳(一辺60mの方墳)などがそうだが、安来の勢力も古墳中期までは続かず衰退する。 しかし古墳時代後期-6世紀代になると、出雲東部-松江市周辺に後に出雲臣と呼ばれる勢力が興起し、それと呼応するかのように再び出雲西部-出雲市周辺の古墳群が巨大化する。

この出雲の地は、古代から東西に二大中心地があり、シーソーゲームのように、大きくなったり小さくなったりを繰り返しているらしい。マーケティング用語で「商圏の二眼レフ構造」というのがあるが、ちょっと似ている。

二眼レフ構造というのは、同じくらいの商圏が隣接している方がシナジー効果で市場が活性化するというもの。吉備でも、吉備を代表する大首長=王の選出は各地の首長が輪番制で交替していたとする説がある。西谷3号墓の墳頂部では、出土した土器から出雲各地の首長の他、遠く吉備や丹後・越の王も送葬儀礼に参列したと考えられている。

それに比べ大和では、盆地東南部に巨大古墳が一極集中していくのと対照的で興味深い。それが出雲や吉備が最初の墳丘墓=王墓を生み出しながら“最古最大の古墳”築造に到達しない理由なのかもしれない。

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2007年11月13日 (火)

炭素C14年代について-銅鐸埋納遺構に伴う焼土

荒神谷や加茂岩倉の調査時にC14年代測定をやっていたことをDさんから教えてもらった。

神庭荒神谷遺跡
400 ± 190 A.D.
320 ± 約100 A.D.
670 ± 約100 A.D.
550 ± 約100 A.D.

加茂岩倉遺跡
SK1の外側の炭化物:50 B.C.~130 A.D.
SK2の内側の炭化物:350 B.C.~300 B.C., 215 B.C.~5 B.C.

加茂岩倉SK1はよさげに見えるが、荒神谷やSK2は、ずいぶんかけ離れた年代になっている…

古代山城の調査でも、土塁中から出てきた炭化物を片っ端からC14年代測定にかけているところあるが、弥生時代から江戸時代までむちゃくちゃいろんな年代が出てくる。その結果だけみて、卑弥呼の時代の城だとか、5世紀頃の城だとか言ってみたり、江戸時代の年代が出たから資料の選択違いだとか、恣意的な判断が一部横行している…

結局まともな結果が出たのは、兵舎跡の炉から採取した炭、南門から出土した板材(金田城)と水門跡に堆積していた加工材(鬼ノ城)。“イベント”に伴った炭化物じゃないと、埋納物とは全く関係ない場合が圧倒的に多いのでC14年代は要注意(ようは資料の選択が肝心)。

土の中にはいろんな(時代の)炭化物が混じっているわけで、埋納遺構の近くから出たというだけでは“同時代性”は不明。その年代を云々しても……

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2007年9月11日 (火)

このブログについて

1年ほど前から猛烈に銅鐸にはまっている。
「モノ」を見て「現地」を歩いた感動や「書籍や論文」を読み「講演会」を聴いた感想など書きつづっていきたい。

昨年9月にあるSNSに誘われ、日記として描いていたのだが、マイブームの銅鐸関係の記事が結構書き溜まってきたのと、思うところあってブログへ引っ越しすることにした。

本人の備忘録として書いているので不定期更新なるが、銅鐸・青銅器に関する最新情報については、入手次第、いち早く紹介していきたいと思っている。

(2008/2/24ブログ開設)

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