その他

2016年3月28日 (月)

松帆銅鐸の復元品を巡回展示 淡路島の全小学校で

Photo


昨年4月に兵庫県南あわじ市で集中出土した弥生時代の青銅祭器「松帆銅鐸(どうたく)」の復元品が製作され、4月から淡路島内の小学校全44校で巡回展示が行われる。子どもたちに自由に触れてもらうほか、銅鐸を鳴らす棒状の「舌(ぜつ)」(振り子)も復元しており、古代の音色を楽しんでもらうこともできる。

神戸新聞 2016328

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月19日 (火)

パワーショベルで偶然発掘「教科書で見たことあるような…」スマホで検索、報告

Photo


今回の銅鐸は、兵庫県南あわじ市の玉砂利製造会社の砂山で土砂の選別作業中、大きな銅鐸に小さな銅鐸が入る「入れ子」の状態の1組2個が偶然見つかったのが始まりだった。

「教科書で見たことがあるような…」。4月8日、同市内にある「マツモト産業」の工場で、副工場長の西田達(とおる)さん(51)が造園などに使う玉砂利を採取するため、土砂をパワーショベルですくったとき、大きな塊が目に入った。

車両から降り、砂まみれの塊を手にした。水洗いすると青さびが見えたため銅製品と思い、スマートフォンで「歴史 銅製品」と検索。銅鐸の可能性が高い、と松本康宏社長(70)に報告した。

翌9日、連絡を受けた市教委や同社社員ら約15人で工場や土砂保管場を調べて回った。すると、保管場の砂山で、入れ子の銅鐸1組2個が顔をのぞかせているのが見つかった。

4月14日から本格的な調査が始まり、23日までに入れ子の1組2個と1個を見つけた。松本社長は「社員総出で探した結果が、大発見につながった」と笑顔をみせた。

土砂は約10年間にわたって市西部の松帆(まつほ)地区の水田を掘り返し、下層から採取した。正確な場所を突き止めるには、同社に残る過去の台帳を調べるしかないという。兵庫県教委文化財課の山下史朗副課長は「時間がかかっても解明し、必要なら発掘調査もしたい」と力を込めた。

産経WEST 2015.5.19

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年6月19日 (木)

山梨県立考古博物館 平成26年度 第2回原始古代の技に学ぶ「青銅器作り体験~ミニ銅鐸~」

Photo先日(といっても5月初め頃になるが)最近銅鐸のニュースがないな~と検索していると、山梨県立考古博物館で、青銅器作り体験-それも銅鐸作りがあるという。

銅鐸作りというと…これまで古代出雲歴博吉野ヶ里遺跡と体験したことはあったが、いずれも低融点合金(ピューター)を使ったもの、今度もそうかと思いきや~案内チラシを読むと、どうも本当の青銅で鋳込むらしい。一度青銅で鋳造するところを見てみたかったので、すぐに電話を入れると24日は定員に達したが、17日はまだ1名空きがあるというので、即申込み!!

17日は朝9:00から開始だったので、前泊することに。幸い博物館隣に亀の井ホテル(名前が変わってホテルAZになっていた)があった。ここの博物館は前に二度程見学したことがあったが、JR甲府駅から遠くバス便も少ない、最寄りの駅もなく、反対に中央高速からは近い。東京方面からなら新宿発甲府行きの高速バスに乗って、中道で下車がオススメ(ただし中道に停車するのは南回りという便だけなのでご注意を)

Sさて工程の概略は当日配られた資料に載っている通りだが、1~2の鋳型作りの部分が作業の大半を占める。鋳型作成は踏み返し法という方法で、博物館ではこの方法で銅鏡などの製作体験教室をこれまで数年前から開催してきた実績があるようだ





Photo_9銅鐸は昨年一度体験教室を開催しており今回が二回目。鏡と違ってどんな原型を使うのかと思っていたら、A・B面で半裁された銅鐸が登場(鏡だといわゆる“踏み返し”と呼ぶ、製品からコピーを作る手法、この原型は湯道とする裾部分が長く作ってある)~原型は1セットしかないため、鋳型作りは1名ずつしかできない…通りで定員が5名のはずで、これでも全員の鋳型が完成するのに昼過ぎまでかかった。


鋳型作りの工程をざっと説明すると、

Photo_8①木枠の中に半裁された原型をセットする。

②離型剤(石膏?のような白い粉末)を原型にタンポのようなもので付着させる(この時型持ち孔の部分によく付けておくのがポイント!)

Photo_10③まず鋳型砂(粒径の細かい/8号?とか言っていた)をさらにふるいを掛けながら原型にふりかけていく。原型の形を細かいところまで再現するため、最初は粒径の細かい砂を使用する。今回使用する鋳型砂は珪砂と水ガラスでできておりCO2に反応して硬化する優れもの。

Photo_11④鋳型砂で原型がほぼ覆われると、今度は手で叩いて固める…この時、鈕や舞、鰭など薄い部分をよく叩いておくのがポイント~理由はこういう部分は上からの力が入り難く原型の細かいディテールに鋳型砂が入らず、エッジが模糊(ぼんやり)とした状態になりがち。

1⑤この上に粒径の大きい鋳型砂をかけて杵形や板状の木片を使って押し固めていく。鋳型の外側に粒径の大きい鋳型砂を用いるのは鋳造時のガス抜きのため。



2_3⑥鋳型砂を少し入れては叩き固め、また少し入れを繰り返す。木枠がずれない程度であればかなり大胆に力を入れて叩いても大丈夫。



3_2⑦最後は板の上から金槌で叩き、





Photo_2余分な鋳型砂は除去する。





Photo⑧CO2ガスを送り込んで鋳型砂を固める(ほっておいても硬化するが時間短縮するためCO2ガスで急速に固める)。最初は中心から四隅、その中間と固めていく。

⑨板を被せてひっくり返す(=フライパンで卵焼きをひっくり返す要領)

Photo_12⑩4箇所尖った金属製の丸棒で孔を開ける(=最後に鋳型をセットする時にきちんと噛み合うようにするため、ここで片側の鋳型に円錐形の孔ができると、この後作成する片側の鋳型砂が入って円錐形のポッチができる仕組み)


Photo_13⑪もう片方の原型をセットする(この時ズレないように両面テープを使用)




Photo_14⑫ ③~⑧と同様に鋳型砂を木枠内に入れて叩き固めていく。





Photo_15⑬上下の型を分離して、木枠を外す(木枠はネジで固定されている)




Photo_16⑭銅鐸の裾部を削って湯口部分を作る。削り過ぎないように注意(削り過ぎると中子がガタついてしまう)

⑮型持ちが原型に持って行かれることが多いので、その際は原型から上手に外すか、型持ちを別に作成して鋳型の所定箇所に貼り付ける。

Photo_17⑯中子は別に中子専用の木型があって既に作られていた。これの舞部分に型持ち2個を貼り付ける(ボンドで)



2_4⑰中子がセットされた状態





Photo_20⑱鋳型を合わせて金属板で夾んで固定する。ここで中子のガタつきがないか要確認



Photo_21⑲耐火煉瓦製の炉と送風鞴、手前はコークスか木炭?






Photo_19⑳鋳込み作業は危険なので参加者にはやらせてくれなかった。両側から二人が坩堝で溶けた青銅を流し込み、三人目(中央)が長い金属板で中子を押さえる(=しっかり押さえていないと中子が浮いてきてしまう)ハバキを使わないのでどうするのかと思っていたが、こういう方法もあるのかと感心!

(21)青銅は銅、錫、鉛の合金だが、今回は鉛フリーにするため、代わりにリン青銅という丸薬大のものを坩堝中に数個添加していた。リン青銅は鉛と同様、湯流れをよくする機能を持つ。写真は撮れなかったが、銅線などを切って坩堝に入れていた。

Photo_7(22)鋳込み後、十分に冷えてから鋳型の右側から金槌で軽く叩くと、鋳型が割れてポロンと銅鐸が転がり出てきた。鋳型砂が銅鐸の表面にびっしりと付着しているため文様は全く見えない。





Photo_6鋳型砂の廃棄場所…うず高く積まれており、中には銅鐸の文様が残る廃棄鋳型もある。この廃棄鋳型は業者が回収して再生するらしい。遺跡からこういう廃棄鋳型の山が見つかれば製作地や工房の問題が一気に解決するのだが…真土(まね)という本式の砂型の場合も鋳型砂は何度も再利用するということなので、銅鏡も含めて廃棄鋳型が遺跡から見つからないのも肯ける。


Photo_5(23)これをバケツの水に突っ込んで冷やし、ドリルで中子を取り除く。



Photo_4(24)表面の鋳型砂が取れて裾部分を切断した状態。ここから銅鐸表面に付着した鋳型砂や中子を根気よく除去していく(この作業がタイヘン…作業に集中していて写真なし)





Photo_3(25)最終段階でグラインダーやベルト研磨機を使って裾部分を綺麗にしてもらう。



(26)完成…銅鐸の高さは17cm、重さは0.8kg。厚みは約2~3mm、薄いところでは1mmの部分もある。写真では白っぽく見えるが実際はほんのりと金色がかっている。材料の配合比は銅85%、鈴10%、その他5%という説明だった。銅鏡だと鈴が20%近くあるため色はもっと白くなるらしい。


4木製の舌を紐で取り付けて鳴らしてみたが、各々微妙に違う音がした。銅鐸の厚みや型持ち孔の状態などで音が変化するのかもしれない。今回の銅鐸は摂津系の銅鐸としてこのブログでも度々紹介してきた東奈良遺跡で作られた銅鐸がモデルになっているらしい。

Photo_2秋の特別展「掘り起こされた音の形~まつりと音具の世界~」に向けて、鈴鏡なども製作するらしいので、できれば次回も参加したい。鈴ってどういう風に作るんだろう?!今回の鋳型作りでなんとなく想像はできるようになったが…中子(鈴の中土)の除去が銅鐸以上にタイヘンそうだ。。。

次回は三環鈴作り…7/13は既に定員、26は受付中

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 2日 (水)

吉野ヶ里遺跡公園「ものづくり体験プログラム」-鏡・銅鐸製作

8/21、久しぶりに吉野ヶ里遺跡に行ってきた。ちょっと来ない間にどんどん建物が建てられて、東映太秦の映画村みたいになっている。

さて今回は園内の弥生くらし館で行われている「ものづくり体験プログラム」で銅鏡、銅鐸、金印を作ってきた。

以前、古代出雲歴博で銅鐸づくり体験をやったことがあるが、外型の合わせ目から合金が漏れだしたり、石膏でできた中子を取り出すのに苦労したりと…たいへんだった。

今回も鋳物系は難しいと思っていたが、意外や意外、よく出来たゴム製の鋳型と鋳流れのよい合金で綺麗に簡単に短時間で出来上がった!

作業の流れをざっと紹介したい。

1_2 ①鋳型の表面に白い粉(滑石?)を筆で塗布する。製品を取り出す際の剥離剤だろう。





2②鋳型を組み立て、外側に樹脂製の黒い板を付け、輪ゴムを二重にかけて結束する。






3銅鐸の場合はこんな感じ、中子が浮き上がらないように押さえを付ける。







5_3 ③合金を鍋で溶かして、ゆっくりと湯口から流し込む。
合金材料: 錫60%、ビスマス40%の合金 融点138℃



6_3④流し込んだら、触らずに10分放置して待つ。







7⑤輪ゴムを外して鋳型を開けて製品を取り出す。





8⑥銅鏡の場合、鏡面をサンドペーパーで磨く。
サンドペーパー:240→600→1200番と替えて行く。240は縦磨き、横磨きと同じ向きの磨きを繰り返す。粗砥である240の磨きを入念に行うことがキモ。600と1200は円を描くように磨いていく。

⑦最後はピカールを使って磨く。
靴磨きなどで使うシャツ生地にピカールを少量付けて磨いていく。

9_2 ⑧鏡の裏面(模様のある方)も内行花文の部分をピカールで磨く。

銅鐸は鋳上がったら、鐸身の裾部分のバリをラジペンで除去し、サンドペ10ーパーで磨くだけで鏡より簡単だった。

この体験プログラム用鋳型を販売しているのは、スタジオ33という京都の会社らしく、ゴム製鋳型は特許も取っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月12日 (火)

銅鐸コイン-地方自治法施行60周年記念500円貨幣

1_2先日、「銅鐸コイン」がようやく届いた。

地方自治法施行60周年を記念した、地方自治法施行60周年記念5百円記念貨幣で、昨夏、古代出雲歴博に行った時、年末に発行されることを知って、造幣局に申し込んだのだが、振込用紙が届くのに2ヶ月、すぐ振り込んだのに商品が届くまで、またまた2ヶ月という超お役所仕事で、忘れた頃に到着となった。

2樹脂製のカードに収まっているので、直接触ることはできないが、保管しておくには汚れないしいいかもしれない。銅鐸の横には加茂岩倉銅鐸23号に鋳出された鹿と猪?(四足動物)の絵がいっしょに表されている。ちなみに中央の銅鐸は35号らしい。

コインショップでは高額の値が付けられているが本当だろうか?

調べてみると、銅鐸の切手も発行されているらしいので、機会あればまた紹介したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 1日 (火)

銅鐸作りイベント「輝く銅鐸を作ろう」

Photo古代出雲歴博で来月「銅鐸作りイベント」があることを知った。
最近は銅剣作り(弥生博、兵庫県考古博)や銅鏡作り(西都原考古博、岐阜市歴博)など鋳造体験のイベントが各地の博物館などで開催されるようになってきたと思っていたら、とうとう銅鐸まで!
中が中空な銅鐸は難しそうだが、うまくできるだろうか…

第45回文化財講座 いにしえ倶楽部 「輝く銅鐸を作ろう」
日時:平成20年7月20日(日) 13:00~16:30
会場:島根県立古代出雲歴史博物館 体験工房
募集定員: 40名(※先着順 定員になり次第締め切ります)
参加費: 500円(銅鐸作りの材料を当日購入していただきます)
内容:
・講座 古代の鋳造技術について解説します。
・体験 融点の低い合金を素材に、
  石膏の鋳型を用いて手のひらサイズの「銅鐸」を鋳造体験します。
  完成品は記念にお持ち帰りできます。
申し込み締め切り:7月15日(火)

問い合わせ先・申し込み先:
島根県埋蔵文化財調査センター
企画調整スタッフ 「いにしえ倶楽部」担当者宛
〒690-0131 松江市打出町33番地
電話 0852-36-8608
FAX 0852-36-8025

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月11日 (火)

日本最大の四隅突出型墳丘墓-西谷9号墓

3_312/2早朝、松江を出て出雲市へ向かった。まだ見たことがなかった西谷墳墓群を訪れるためだ。西谷墳墓群というのは、斐伊川左岸の丘陵上に造られた四隅突出型墳丘墓と呼ばれる弥生時代後期の首長墓。なかでも島根大によって発掘調査された西谷3号墓(写真1)は一辺40mで、朱で真っ赤になった主体部からはコバルトブルーのガラス製の巴型勾玉(写真2)など珍しい遺物が出土(※あの有名な丹後の大風呂南1号のガラス釧と同じ材質!)2世紀末のイツモ国の王墓と推定されている。

Imgview_4以前、安来市の仲仙寺墳墓群を見たことがあったので四隅突出型墳丘墓というと、あまり大きくないという印象が強かった。しかし西谷3号墓を見てその大きさに正直驚いた。また3号墓などが整備された「出雲弥生の森」から少し東へ伸びた丘陵先端の西谷9号墓(3世紀前半/平面図)は3号墳の規模を上回る日本最大の四隅突出型墳丘墓だという(42×35m, H4.5m,ヒトデのような突出部を含めると一辺60mを越す)。残念ながら9号墓は1960年頃の三谷神社建設で墳頂部が削平されいるが、神門平野を見下ろす威容は“大方墳”といってもいい。

9_3出雲歴博の展示によると、3世紀末~4世紀代-古墳時代に入ると、出雲東部-安来市荒島方面の古墳群が大きくなりはじめるらしい。大成古墳や造山1号墳(一辺60mの方墳)などがそうだが、安来の勢力も古墳中期までは続かず衰退する。 しかし古墳時代後期-6世紀代になると、出雲東部-松江市周辺に後に出雲臣と呼ばれる勢力が興起し、それと呼応するかのように再び出雲西部-出雲市周辺の古墳群が巨大化する。

この出雲の地は、古代から東西に二大中心地があり、シーソーゲームのように、大きくなったり小さくなったりを繰り返しているらしい。マーケティング用語で「商圏の二眼レフ構造」というのがあるが、ちょっと似ている。

二眼レフ構造というのは、同じくらいの商圏が隣接している方がシナジー効果で市場が活性化するというもの。吉備でも、吉備を代表する大首長=王の選出は各地の首長が輪番制で交替していたとする説がある。西谷3号墓の墳頂部では、出土した土器から出雲各地の首長の他、遠く吉備や丹後・越の王も送葬儀礼に参列したと考えられている。

それに比べ大和では、盆地東南部に巨大古墳が一極集中していくのと対照的で興味深い。それが出雲や吉備が最初の墳丘墓=王墓を生み出しながら“最古最大の古墳”築造に到達しない理由なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月13日 (火)

炭素C14年代について-銅鐸埋納遺構に伴う焼土

荒神谷や加茂岩倉の調査時にC14年代測定をやっていたことをDさんから教えてもらった。

神庭荒神谷遺跡
400 ± 190 A.D.
320 ± 約100 A.D.
670 ± 約100 A.D.
550 ± 約100 A.D.

加茂岩倉遺跡
SK1の外側の炭化物:50 B.C.~130 A.D.
SK2の内側の炭化物:350 B.C.~300 B.C., 215 B.C.~5 B.C.

加茂岩倉SK1はよさげに見えるが、荒神谷やSK2は、ずいぶんかけ離れた年代になっている…

古代山城の調査でも、土塁中から出てきた炭化物を片っ端からC14年代測定にかけているところあるが、弥生時代から江戸時代までむちゃくちゃいろんな年代が出てくる。その結果だけみて、卑弥呼の時代の城だとか、5世紀頃の城だとか言ってみたり、江戸時代の年代が出たから資料の選択違いだとか、恣意的な判断が一部横行している…

結局まともな結果が出たのは、兵舎跡の炉から採取した炭、南門から出土した板材(金田城)と水門跡に堆積していた加工材(鬼ノ城)。“イベント”に伴った炭化物じゃないと、埋納物とは全く関係ない場合が圧倒的に多いのでC14年代は要注意(ようは資料の選択が肝心)。

土の中にはいろんな(時代の)炭化物が混じっているわけで、埋納遺構の近くから出たというだけでは“同時代性”は不明。その年代を云々しても……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月11日 (火)

このブログについて

1年ほど前から猛烈に銅鐸にはまっている。
「モノ」を見て「現地」を歩いた感動や「書籍や論文」を読み「講演会」を聴いた感想など書きつづっていきたい。

昨年9月にあるSNSに誘われ、日記として描いていたのだが、マイブームの銅鐸関係の記事が結構書き溜まってきたのと、思うところあってブログへ引っ越しすることにした。

本人の備忘録として書いているので不定期更新なるが、銅鐸・青銅器に関する最新情報については、入手次第、いち早く紹介していきたいと思っている。

(2008/2/24ブログ開設)

| | コメント (2)